練習したかったと言わない為
【12月17日】
神戸で原口文仁の慰労会をやった。
といってもこぢんまり…。参加者は気の置けない仲間4人。様々語り合い、昔話で盛り上がった。まだあどけなかった16年前の思い出も…。
09年12月の新入団会見で帝京出身の背番号52はガチガチだったそうだ。
「だって、あんなに眩しいライトに照らされるのは初めてでしたから」
あっち側に座ったことがないので分からない。でも、確かにそうかもしれない。記者が陣取る席から見ればルーキー達の顔がよく映えていい。後ろの金屏風がちょっと眩しいくらいだけど、主役たちはあのスポットライトで緊張が増すそうだ。
ドラフト6位で腰に爆弾を抱えながら鳴尾浜で鍛錬を積んだ10代の時分、日々練習を積まないと不安でしょうがなかった。フミの胸中には「俺は高卒だからゆっくりできる」なんて気持ちはまるでなかったそうだ。故障で練習させてもらえず、鳴尾浜の食堂でひとり泣いた話は以前当欄で紹介した。彼の「練習の虫」エピソードは取材すればキリがないほど出てくる。
あの時代にSGLがあったら?
引退した今だから本音を聞いてみたくなった。
フミは笑いながら言う。
「いや、正直、羨ましいです。もっと沢さん練習したかったので…」
鳴尾浜の室内練習場は打席が2箇所しかなかった。夜にバッティング練習をしたくても空席を待たなければならなかった。先輩に占領されてしまえば「のいてください」とも言えず。
阪神の高卒野手は育たない。
そんなありがたくないジンクスはフミの耳にももちろん届いていた。環境のせいにもできない。もっともっと打ち込みたい。そんな渇望を抑えながら過ごす夜もあっただけに、尼崎の最新鋭設備を見れば「もう少し早くできていれば…」。そんな思いはフミに限らず、OBの中にもあると思う。
さて、そんな原口も参加する藤川阪神の優勝旅行は初日から少し天気が悪かったそうだ。常夏の島で癒やされるV戦士を現地で見たかったけれど、残念ながら僕は居残り。寒い日本で当欄のネタ集めに奔走している。
そういえば、高卒野手でハワイへ行かない選択をした者がいた。
前川右京である。
実は、ちょっと前に彼と球場の外でゆっくり話す機会があった。
燃えていた。
表現は古臭いが、まさにその書き方がしっくりくるような情熱で巻き返しの「準備をしたい」旨を話していた。
「練習したいです」
原口と同じ匂いがした。かつて和田豊から「野武士のよう」と称された右京は今おそらく寒い場所に居る。
すべて結果の世界だから彼の行動を美談にするつもりもない。この期間に鍛えても答えが出なければそれは…
いや、そうとも限らない。彼の野球人生に於いて無類の財産になる25年の師走だ。「もっと練習したかった」。後にそう言わないために右京は牙を研いでいるのだと思う。=敬称略=
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