そんなものは何も…
【8月6日】
建英ではじまり建英で終わった大会だった。それぞれ評価も違うだろうから、あくまで個人的なサッカー五輪代表の総括である。性格的なものは知らないけれど、彼は何もかもパンチが効いていた。
もう30年以上、日本サッカーを観てきたけれど、ピッチのうえでこれほど声をあげて泣く代表選手を初めて目にした。もちろん「ドーハの悲劇」も含めて。
僕がサッカー担当を離れたのは13年だから、今回馴染みのある代表戦士といえば吉田麻也だけだった。8年も経てば世代交代は必然だけど、久保建英の名前だけは当時から耳にしていた。ジュニア世代にバルサが認めたとんでもない逸材がいる…映像を見ながらこの少年が代表で10番を背負う日が楽しみ…誰だってそう思っていた。
背番号10ではなかったけれど、彼は東京五輪で、サッカーに興味のない人々にもその名を売った。発言もいろんな角度で響かせた。久保のコトバで最大のインパクトはスペインとの死闘を演じた準決勝後のもの。唯一目指してきた金メダルに届かなかったその無念さを彼は遠慮なく吐き出していた。
「(3位決定戦へ)切り替えられるほどまだ僕も強くないので、どうしようかと、今思ってます」
メモを取りながら思わず「分かるわ…」と口走った。だって「はい、次は銅メダル目指して頑張ります」なんてウソ。悔しくて無念で、どうしていいか分からない。彼のその偽らざる気持ちがストレート過ぎて心地よかったのだ。
そのスペイン戦後「涙も出てこない」と語っていた久保がこの夜号泣した。五輪期間は五輪のハナシを書くと宣言した当欄だけど、メダルを逃したメキシコ戦の評論を僕のような野球記者に求める読者はいないと思う。だからと言うのも変だけど、きょうはフィール外の美学について少しだけ…。
負けはしたけれど、ゴールを目指す姿勢は見えた。メキシコに完敗した直後、埼スタでそんな趣旨を問われた久保は言った。
「そんなものは何もならない」
「本当に、きょうの負けは重いと思う」「結果、手ぶらで自分の家に帰ることになる。今までサッカーをやってきて、こんなに悔しいことはない…」。どれもこれも、オッサン記者の心にすとんと落ちた。まったく作っていない、繕わない言葉だと分かったから。
野球、サッカー、双方を取材してきて感じること…誤解を恐れず書くならば、サッカー選手のそれのほうが人間味がある。いや、もちろん人間味のあるコメントを発する野球選手もいる。概して…である。その理由を僕の認識で書けば、球団の育成環境や選手とメディアとの信頼関係が要因かと…。 コメントが通り一遍で、面白くない…プロ野球でときに感じる。
「本音はSNSで」。そんな風潮も増してきたけれど、僕にはグサッとくる。
発言を切り取らない。倫理観を失わない…アスリートのまっすぐな発言を聞きたいからこそだ。この日、球界で感じることがあったので自戒を込めて。=敬称略=