秋の戦いまで111日
【6月21日】
グランドプリンスホテル新高輪の一室で金本知憲は言った。
「大山でいきましょう」
言葉にしたときはもう迷いはなかった。16年10月20日。ドラフト会議が寸前に迫る午後だった。
先週から5年前のドラフトを回想している。前述したように今年はドラフト会議が例年より早い。コロナ禍に於いて、まだまだ難局が続くなか阪神球団では滞りなくスカウト会議が行われている。一昨年は高校生中心のいわばロマンドラフト。昨年は大学、社会人中心の即戦力ドラフト。主軸が若返り、選手会長の近本光司が「黄金期に入る」と語った虎にとって、どんな戦略が求められるのか。
5年前の秋、阪神タイガースは即戦力になり得る、右打ちの大型内野手を欲していた。前回書いたように、しかし、当時の大学市場は左打ちの内野手が多かった。また、オーナー付シニアアドバイザー和田豊の日大の後輩にあたる京田陽太(現中日)が注目され、強化ポイントだった「ポスト・鳥谷敬」とも合致したため、白鴎大のスラッガーが関西のスポーツ新聞を賑わせることはなかった。
阪神は1位で大学の即戦力投手を狙う。虎番キャップだった僕の取材では間違いなくそうだった。だから、ドラフト本番直前にその名を聞いたときは驚いた。
「大山悠輔は2位ではもう残っていない」
阪神球団のテーブルに確かな情報が回っていた。ドラフト会議は1巡目のみ入札方式で、2巡目はウエーバー方式。つまり、同シーズンの下位チームに優先権がありこの年はセ4位の阪神が、オリックス、中日、楽天、ヤクルト、西武のそれよりも低かった。
当時の阪神オーナー坂井信也は述懐する。
「あのときは、指名順位上位の西武、ヤクルト、オリックス、中日…内野手が必要な球団ばかりでしてね」
2位まで待てば有望な内野手がもっていかれる。しかも、この中にピンポイントで大山を狙う球団がある。どうやら、外れ1位でも…。さらに、翌年(17年秋)の市場を見渡しても彼を凌ぐ素材はいない。金本は瞬時に決断し、大山の一本釣りに成功したのだ。
当初、前監督は佐々木千隼(ロッテ)の1位指名を固めていた。そこで坂井が「それならば、外れ1位は大山でいきませんか?」と相談したところ「それはありですよね」と返した。しかし、金本は土壇場で総帥の提言をも覆し「必勝大山獲り」にかじを切った。坂井は驚きながら「思い切りましたね」と、英断に拍手を送った。
あの年のドラフト会場で僕はブーイングを耳にした。「阪神1位大山悠輔」のアナウンスにグランドプリンス新高輪の大ホール「パミール」はどよめき、「えぇ~」の声が確かに混じっていた。
「絶対、見返してほしい」
22歳の大山へ向け、僕はそう書かせてもらった。
今年は秋の戦いで劇的なドラマがあるのか。ドラフト会議まであと111日である。=敬称略=