130キロ台の「速球」で…
【4月1日】
きのうPL学園の元エース難波清秀と話をした。難波といえば09年夏、PLを甲子園へ導いた右腕である。同年の大阪予選では、球場に駆けつけた同校OB前田健太から声援を送られた経験もある。
高校野球ファンには馴染みの難波は、縁あって僕のシゴトをよく知る人…なので「毎日書くの大変でしょ?」と気遣ってくれる。確かに、何もネタがないときは困るのだけど、きょうは難波のおかげで書きたい話が浮かんできた。
PLの難波が甲子園のマウンドにあがった「91回大会」を回想してみると、あの夏、脚光を浴びた右腕を思い出す。
秋山拓巳である。
「伊予ゴジラ」と呼ばれた西条の大黒柱は2回戦で姿を消してしまったけれど、十分インパクトを残した怪腕だった。もちろん難波の記憶にも鮮烈に残っているようで、今もよく秋山の話になる。
エースで4番。投も打も、体格も、高校生離れした18歳。その年のセンバツでは、PLと西条が対戦し、秋山に8安打を浴びせたPLが勝利したのだが、難波は「球が速かったですし、間近で見ると体が違いました」と懐かしむ。
球が速かった…。
当時、春も夏も甲子園大会をテレビ観戦した僕も確かにそんな印象が残っている。
7回5安打2失点。
この夜、マツダスタジアムで今季初勝利の秋山である。
チームの連敗を2で止める快投を生んだのは速い球…いや、もう虎党にもお馴染みだけど、自ら自虐ネタにする「遅いまっすぐ」がのっけから持ち味となり、カープ打線を手玉にとった。
スコアブックを見返してみると最速は145キロ。しかし140キロ台の表示が出たのは2度だけで、あとの直球は全て130キロ台。3打数無安打に封じ込めた4番・鈴木誠也への投球内容を見れば、第1打席は133キロ、第2打席は132キロ、第3打席は134キロの直球を交え打ち取っている。
なぜ、そんな遅い直球で勝てるのか。テレビで秋山の投球を見る難波は言う。
「球速だけでいうと、高校時代のほうが速かったと思います。パワーピッチャーのイメージでしたけど、ここ数年は力感のないフォームからキレとコントロール、変化球の精度も上がって、投球術で抑えていますよね。すごい…」
コントロール…。
そう。秋山の真骨頂はこの夜も光った。5回まで完全投球。21年度の初マウンドもしっかり無四球…打者25人に、3ボールが一度もなくゲームを支配したのだ。
2ケタ勝った過去2シーズンの与四球率は、17年がセ・リーグトップの0・90。20年は規定未満ながら0・96と安定感抜群だった。
この数字は、難波が尊敬し、きょう米大リーグツインズで開幕投手を担うマエケンが、沢村賞に輝いた2シーズンのそれ(10年=1・92。15年=1・79)も上回る。
ローテーションのキーとなる6枚目に「精密機械」が控える阪神は、大崩れしない。=敬称略=