さらば、狩野恵輔

 【9月27日】

 いつものように、飾らない男だった。狩野恵輔と待ち合わせたのは今年の…いや、日付はぼやかしておく。どうやら大切な話になりそうだから、なるべく静かな場所にしよう。そう思っていたら…。

 「スタバにしましょうよ。甲子園口の…。6時半には行けます」

 さすがにあの店は人が多い。しかも、夕方だから…。こっちの心配をよそに、狩野は言った。 

 「僕は全然、構わないですよ」

 予想通り、満席…。若者が両隣でワイワイする中、彼は大きな「決断」について語ってくれた。

 「『今年でやめる』って言ったら、野球をやっている息子たちが『いやだ』って泣いてね。嫁さんは何も言いませんでしたけど…」

 彼はコーヒーをすすりながら、まず家族への感謝をにじませた。

 この日の甲子園は、狩野のためにあった。最後は5人の子供たちがパパのファイナルを目に焼き付け、思いきり抱きついた。これまでこらえてきた妻・聖子の瞳からは、とめどなく涙が溢れ…。

 「17年ですよ。風さんとは長い付き合いになるもんね」

 狩野との思い出はつきない。少しだけ話をしよう…そう言ってはよく二人でコーヒーを飲みに行った。甲子園の近所で見つけた小さなカウンターの喫茶店。尼崎のショッピングモール。新大阪のカフェ…。目立つ風貌だし、やはり関西では顔がさす。それでも、どこだろうと、狩野は自然体だった。

 そんな男が自然に身を任せず、強く主張してきた日がある。あれは06年のオフ。金本知憲が練習拠点にしていた広島のジム「アスリート」の話題になったときだ。「行かせてもらいたいです。紹介してもらえませんか」。7年目を迎える25歳は鬼気迫る顔でそう頼んできた。僕はジムの代表と古くから面識があったので「じゃ行こうか」と、一週間後に新大阪で待ち合わせた。当時、芽の出ない2軍選手だった狩野は新幹線車中で言った。「このままじゃ、終われない」。野球教室などで得たわずかなギャラを全て交通費、宿泊代に充て西宮~広島間を幾度も往復。翌07年のブレークに繋げたのだ。

 「色んなことがありました」。引退スピーチでそう語った。矢野燿大の後継と目されながら大きなケガに泣いたこともそうだろう。

 あれは10年秋のこと。大阪の病院で椎間板ヘルニアの手術を受けた狩野から電話があった。見舞いへ行くと、彼はベッドで身を起こして笑うのだ。「見てよ」。枕元には瓶詰めになった除去後のヘルニア塊…。狩野は再び言った。「このままじゃ終われないから」。

 万感の引退試合。同じく今季限りでユニホームを脱ぐカープ江草仁貴と対戦した。内角低めを振り抜いた打球は左翼線へ。そう…。プロ初安打がサヨナラ打となった巨人戦の、あの軌道である。狩野は言った。「同じようなコース、同じような打球。最後こうなるとは…」。実はあの試合、当時阪神だった江草の失策がなければ狩野のサヨナラ打はなかった…。なんてドラマチックな終幕だろう。さらば記憶に残る男…狩野恵輔。=敬称略=

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