「エース」への壁

 【5月30日】

 運動部育ちだけど、緊張でゲロを吐いた経験はない。トーナメントを勝ち進み、これを勝てば全国へ…そんなシビれる試合になれば前の晩は寝つけなかった。ただ、嘔吐までは…。プロで経験を積んだ百戦錬磨なら、緊張はあれど、ガチガチで体が動かないなんてないだろう。そう思っていた。

 でも一流には一流の壁があり、それを乗り越えようとすれば、ガッチ、ガチになることもある。プロ野球を取材するようになって、それが分かるようになった。

 投手コーチの金村暁にとって、ここ幕張のスタジアムはほろ苦い思い出が詰まっているという。「エース」と呼ばれ、2ケタ勝利がノルマだった日本ハム時代。金村は一度だけ極度の緊張でマウンドに立てなくなったことがある。

 「あれは2005年だったかな…。8月だったと思いますけど、大事な試合で千葉に来て、前の日の晩に全く眠れなくて…。先発した試合で途中で投げられなくなったことがあったんですよ。ベンチの裏で吐いて、脱水症状で…。もう、ノックアウト状態でした」

 金村は救急車で千葉の病院へ運ばれ、幕張のホテルで夜通しうなされた。トレーナーの指導で、枕元に置いた牛乳をちびちび喉に通しながら朝を迎えたそうだ。

 立ち上がりから、ボールが上ずった。交流戦の開幕戦を託された秋山拓巳である。千葉のマウンドは初めて。緊張があったはずだ。いや、この程度の舞台で硬くなってどうする…。もちろん、そう。ただ、彼にとって今年は特別なシーズン。ダメならクビ。それくらい覚悟を持って開幕を迎えたと思う。一戦必勝。秋山の顔つきを見れば、どの試合も背水の陣で腕を振っているような気迫を感じる。

 僕がサッカーを担当していたころ、なでしこジャパンの丸山桂里奈がこんなことを言っていた。

 「野球って…ピッチャーとかヤバくないですか?だって、マウンドで一人だもん。投げるときは、お客さんの目がそこにしかいかないわけでしょ。私は無理だな…」

 女子サッカーのW杯ドイツ大会で伝説のゴールを決めたヒロインが何を言うのか。超満員のスタジアムでしかも開催国を相手に決勝点…。「俺なら、チビって足動かん」。そう言うと「私、ピッチャーは無理だわ…」と話していた。

 マウンドでは「孤独」だと投手からよく聞く。大一番になるほど責任がかかるほど、その孤独感は増し、喉がカラッカラになる。

 金村は言う。「ウチの若い投手に、思いきり緊張するような試合を経験してほしい思いはありますよ。エースと呼ばれる存在になってほしいですしね…」

 甘い球が多かった。死球もあった。でも、四球は0。秋山は責任を負い、歯を食いしばった。彼は遅ればせながらエースへの階段を上っているのだ。阪神に和製右腕のエースは長らく出ていない。この先、復調した藤浪晋太郎とその座を競えば虎の未来は明るい。喉がカラッカラになるような大舞台で勝ちきる存在であってほしい。=敬称略=

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