阪神ヒッティングマーチ制作の裏側とは 阪神タイガース応援団応援本部長・和田篤さんに“応援歌の秘密”を聞く
野球観戦に欠かせないのがファンの応援。球場で流れる選手別のヒッティングマーチは、日本のプロ野球を長きにわたって彩ってきた。阪神のヒッティングマーチは、どのように作成されて球場で歌われるのか-。ヒッティングマーチ作成に携わる、阪神タイガース応援団応援本部長の和田篤さん(65)に、“応援歌の秘密”を聞いた。
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約4万人の“大合唱”が、選手たちの背中を押す。ファンなら自然と口ずさめる、ヒッティングマーチ。作成に携わる阪神タイガース応援団応援本部長の和田さんは「その選手のイメージや、オリジナリティーをどう出すか。長打の打てる選手の曲は似てくる。選手側がどう受け止めるかを一番大事にしたい」とモットーを掲げる。
作成に向けてはまずシーズンオフ、同年に1軍で活躍した選手を数人ピックアップする。和田応援本部長、東日本統括、西日本統括の3人を中心に方針を決め、会派の応援団10団体に情報を共有する。「全国で300人以上の団員がいますが、誰でも応募ができます」と間口が広い。
複数の原案が提出されると、音楽に精通している団員が専門的視点から曲調などを整理。楽譜が他球団とかぶっていないかなどの精査が完了すれば、応援団幹部を中心とした「最終決定グループ」で1曲に絞る。その後「仕上げグループ」で最終調整。「甲子園で4万人以上の方に歌ってもらいたい。歌いやすい譜の並びなどを整理して、話し合いながら仕上げる」という手順になる。
曲を絞り込めない時は球団を通じて選手本人が決める。「最初にその形で決めてもらったのは小幡選手。大分県出身にちなんで『日向灘』という歌い出しに決まりかけたんです」。団員間で意見が割れたため、本人の意向を踏まえて現在の歌詞になった。作成に際して応援団全体としては勢い、日本語として成立しているか、音楽的な曲調などを重視している。
和田さんにとって思い入れがあるのは、大山の応援歌。2024年シーズンには従来の曲に新しい曲が追加され「さあここで見せてくれ さあ主砲の一打を 勝利に導け 我らの大山」に決まった。この「我らの大山」という言葉を自ら考案。大山は同年に国内FA権を取得した。「『永遠にタイガースの大山でいてほしい』という思いを込めました」とファンの総意を表現した。
阪神のヒッティングマーチの起源は、現在の投手が打席に入った際に使用する「投手汎用(はんよう)」が始まりとされている。当時はそれを1番と名付け、「野手汎用」が2番。意外にも、入団1年目の開幕時から専用応援歌が作られたのは高山俊(現オイシックス)と佐藤輝明のみ。和田さん個人としては、佐藤輝が打撃タイトルを獲得すれば翌年から前奏を付ける考えを持っていたという。今季はそれが採用された。
和田さんは横浜市生まれで現在も関東在住。母親の影響で少年時代から虎党だった。大学の応援団サークルに入り、1985年のリーグ優勝と日本一を現地観戦。以降の優勝は全て球場で味わった。05年にリーグ優勝を決めた一戦も甲子園にいた。当時は仕事が多忙な時期だったが、上司に甲子園へ行きますと伝えると「『行って後悔するか行かないで後悔するか、よく考えろ』と言われて『行かせていただきます』と言いました」と苦笑いしながら歓喜の瞬間を思い返した。
関東での阪神戦では、応援団席で応援リーダーも務める。応援団としては今季が48シーズン目。「ヒッティングマーチは選手へのメッセージであり、スタンドの気持ちを選手に届ける一つの財産だと思ってます。選手も『この曲って力になるな』と思ってもらえるとすごくうれしいです」。尽きることのないタイガース愛で、今季も虎戦士たちにエールを届ける。
