阪神・高橋遥人「投手の名家」に本格参戦 初の開幕ローテから球史に名を刻む 「高橋」の総勝ち星1172勝
遥人が「投手の名家」へ本格参入する。阪神左のエース候補、高橋遥人投手(30)は今季、シーズン通しての活躍へ期待がかかる。プロ野球で「高橋」といえば、数多くの名投手を擁する名字だ。阪神で先発経験のある「高橋」投手は、現状では遥人ただ一人。まずは自身初の開幕ローテーション入りを果たし、球史に名を残す一歩を刻む。
合わせて1172勝。日本球界で「高橋」投手が挙げた勝ち星だ。全40人の登板数を全部足すとと、6238試合となる。1936年のプロ野球創設以来、総試合数は6万7417試合。「高橋」投手は、10・8試合に1人登板している計算である。両リーグでフルカードが2日続けば、どこかの球場で「ピッチャー高橋」とコールされていたことになる。
最多の勝利数は、169勝の直樹だ。1970年代は日本ハムのエースとして君臨し、広島を経て移った西武では黄金時代を支えた。荒くれ男がひしめいていた当時の球界で、銀縁眼鏡の知性的な風貌が印象的だった。
続くのが巨人V9の左腕エースだった一三の167勝である。堀内恒夫とともに、ONをバックに投げ続けた。後年には日本ハムに移籍し、81年古巣との日本シリーズでも先発した。
個性派も多い。大洋(現DeNA)の重行は、遅球を武器に息の長い活躍を見せた。77年広島で20勝し最多勝となった里志は、この年40試合に先発。NPBでシーズン40試合以上の先発登板は、現状これが最後である。また、巨人で79勝の尚成、広島で70勝の建と、海を渡った高橋もいた。
阪神で公式戦に登板した高橋投手は4人いる。
球団初は、60年入団の孝明だ。同年から翌年61年まで、すべてリリーフで10試合。チームはこの10試合で全敗し、孝明は62年に引退した。ほかに広島を自由契約になり阪神入りした顕法(あきのり)が98年に救援で1試合投げたが、これがプロ唯一の登板に終わった。
球団初の「勝利投手・高橋」は、中日からFAで獲得した聡文(あきふみ)だ。16年4月8日広島戦で九回1イニングを投げ、西岡のサヨナラ安打で白星を得た。聡文は球団在籍131試合すべてが救援で9勝をマーク。19年限りで引退した。
よって阪神の「高橋」投手で先発経験があるのも、また生え抜きの勝利投手も、遥人が唯一だ。
度重なる故障から24年に戦列復帰したが、オフにまた手術。25年も1軍初登板は7月で、公式戦登板は8試合に終わった。マウンドに上がれば無双の投球が期待できる左腕も、気がつけば三十路(みそじ)に入った。プロ初となる年間通しての活躍で、名家の系譜にその名を記したい。
【球界「高橋」姓アラカルト】
◆高橋大国 球団別に見ると、高橋姓による勝利数最多は巨人と日本ハムでともに275勝。両球団で働いた、一三(巨人110勝+日本ハム57勝)良昌(東映=現日本ハム、50勝+巨人10勝)の存在が大きかった。
◆未勝利は2球団 現存チームのうち、ロッテは高橋投手の勝利がない。毎日時代の55年シーズン最終戦、10月13日東映戦に新人の幸一が先発したが三回途中2失点で降板。そのまま引退した。球団唯一の「高橋投手」登板だ。楽天は05年の発足時にオリックスから移った浩司捕手が唯一の高橋姓で、投手はいない。
◆野手 広島を中心に活躍した慶彦は俊足強打のスイッチヒッターとして1826安打、477盗塁と一時代を築いた。また巨人の由伸は321本塁打を放ち、引退後は監督も務めた。
◆球団名 54、56年には「高橋ユニオンズ」という球団が存在(55年の球団名は「トンボ」)。チームは3年で解散。通算勝率・344(147勝280敗8分け)は史上最低で「最弱球団」として名を残す。同球団の高橋姓は、捕手の一雄が54年から2年間在籍したが、投手はいなかった。
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