【阪神ドラフト選手特集・岡城快生(中)】監督を驚かせた「PDCAサイクル」の実践 コロナ禍でも打撃技術急上昇
10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回はドラフト3位の岡城快生外野手(22)=筑波大=。進学校に進んだコロナ禍の高校時代に驚きの行動があった。
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快生は県内屈指の進学校でもある、岡山一宮に進学した。野球部の練習時間は基本的に1時間半から、冬になれば1時間に限られる。求められたのは自主性、主体性を持った練習だった。3年間指導した赤畠資佳監督(42)は驚かされたことがある。
高校2年の時。日本はコロナ禍となり、岡山一宮も学校への登校すら許されない状況となった。1カ月半後、帰ってきた快生は野球の技術が向上していたのだ。「その理由を聞くと、『河原で同級生とトスバッティングをずっとしてました』と言ったんです」と赤畠監督。コンタクト率が見違えるほど上昇していたという。
野球部では進学校らしく、企業が導入するようなPDCAサイクル(※)を取り入れていた。「もしかしたら、それにマッチしたのかもしれないですね」。計画、実行、評価、改善という循環で目標達成を追い求めるもの。日頃の取り組みが主体的で自主的な行動につながっていた。
一方で、一度だけ野球人としての姿勢を注意したことがあった。高校3年の6月の練習試合。当時は投手だった快生は守備のミスに負の表情を出した。「アウトが取れる打球で取れなかったと。珍しく彼の表情に出たので、その後話をしましたね」。赤畠監督が後にも先にも快生を注意したのは、これだけだった。
高校最後の大会は180球以上を投げ、無四球ながら内野手の6失策で敗退。でも、その試合では表情に出すことは一切なかった。「最高の投球でした。彼は素直さがありますから、最後は一切表情も出さずに終わりましたね」。この人間性も大きく成長してきた要因の一つだ。
とはいえ、赤畠監督も高校の時点ではプロ野球選手になるとは思わなかったという。岡山一宮では初のプロ入り。指導者として「誇りに感じることもありますけど」と前置きしながら、「むしろ人間として素晴らしいという尊敬の念の方が大きい」と心から喜んだ。
監督の願いは一つ。11月中旬に高校へ帰ってきてくれた時、直接言葉を届けた。「夢を与える選手になってよ。多くの感動や、多くの人に夢を持たせられるプレーヤーになってね」。高校で一回りも二回りも成長し、筑波大の門をたたくことになる。
※PDCAサイクル…Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)のそれぞれの頭文字を取ったもので、この4ステップを繰り返すことで目標達成や業務改善を行う概念。
◆岡城 快生(おかしろ・かいせい)2003年6月23日生まれ、岡山県出身。22歳。183センチ、83キロ。右投げ右打ち。岡山一宮-筑波大を経て、25年度ドラフト3位で阪神の指名を受けた。昨冬の大学日本代表候補の50メートル走で、5秒82を計測した快足を誇る。広角に強い打球を放つ巧打者で、肩の強さも魅力の好素材。
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