長嶋氏「名投手でした」 王氏「真っすぐ印象的」 名勝負繰り広げた戦友・小山正明氏との別れを惜しむ
阪神、東京(現ロッテ)などで投手として活躍し、歴代3位の320勝を挙げた小山正明さんが18日、心不全のため死去した。1959年の「天覧試合」巨人-大阪(現阪神)戦などで対戦した巨人の長嶋茂雄元監督(89)とソフトバンクの王貞治球団会長(84)は、球団を通じて追悼のコメントを発表した。
高度経済成長とともに華やかなりし時代を迎えていたプロ野球。その中で小山氏と数々の名勝負を繰り広げたONも、ライバルの訃報を悼んだ。
球団を通じてコメントを発表した巨人の長嶋茂雄終身名誉監督は「あの小山さんが…」と絶句。「コントロールの良さは抜群で天性のものと言われ、村山投手と並んで阪神を代表する名投手でした」と振り返った。
ONと小山氏の対決で思い起こされるのは、やはり1959年6月25日の巨人-大阪(現阪神)戦(後楽園)、昭和天皇と皇后が来場した「天覧試合」だろう。その一戦で大阪の先発を務めたのがエースの小山氏だった。三回に自らの適時打で先制点をたたき出すも、五回には巨人・長嶋の一発などで逆転を許した。
六回には大阪が再逆転に成功するが、七回に小山氏は新人だった王の同点2ランを被弾し、これが初のONアベックアーチとなった。七回途中から大阪は新人・村山が登板も、同点の九回に長嶋がサヨナラ弾を放った。
プロ野球史で長きにわたる阪神と巨人の“伝統の一戦”の中でも、今に語り継がれる名勝負となった「天覧試合」。それだけに、長嶋氏も小山氏の突然の死去に「寂しい限りです」と、その正直な胸の内を明かした。
ソフトバンク・王貞治会長は「針の穴を通すようなコントロールで、素晴らしい回転の伸びのある速球派で打ちにくかったですね。苦労させられました」と小山氏との対戦を懐古する。世界のホームラン王をして「本当にきれいな回転の真っすぐが印象的でした」と言わしめ、熱投派の村山実と対照的な猛虎の二枚看板として、ONと対峙(たいじ)してきた。
64年に小山氏はパ・リーグの東京(現ロッテ)に移籍。小山氏がONと再び相まみえたのは70年の日本シリーズまで待つことになる。「その後の対戦がなかったのが残念」と王氏。猛虎のエースとして巨人に挑み続けた在りし日の姿に思いをはせ、“戦友”の天国への旅立ちを追悼した。
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