阪神などで活躍した若生智男さんが死去 小山正明らとの世紀のトレードで移籍 所属3球団で日本シリーズ出場 指導者も歴任
大毎(現ロッテ)、阪神、広島で通算121勝をマークし、指導者も歴任した若生智男さんが3日、肝臓がんのため千葉県船橋市内の病院で死去した。87歳だった。
若生さんは1956年に毎日オリオンズに入団。5年目の60年に初めて2桁勝利をマークし、規定投球回にも到達。チームのリーグ優勝に大きく貢献し、日本シリーズのマウンドにも上がった。その後、64年に当時「世紀のトレード」と称された小山正明らとの交換トレードで阪神に移籍。投手陣の柱として獅子奮迅の働きを見せた。
ベテランの域となった75年に安仁屋宗八とのトレードで広島に移籍。先発陣が窮地に陥った際に穴を埋めるなどの活躍でリーグ優勝に貢献。最後は広島で21年間の現役生活に別れを告げたが、所属した3チームで日本シリーズに出場したのは当時初めての快挙だった。
引退後は阪神、ロッテ、広島だけでなく、現役時代に所属経験がなかった球団でも指導者やフロントを歴任。また高校野球でもコーチを務めるなど、球界の発展に尽力してきた。デイリースポーツ評論家としても健筆をふるい、投手心理の分析や育成論には定評があった。
東北高校でダルビッシュ有投手を育てあげるなど、高校野球界で名指導者の呼び声高かった若生正広さん(2021年他界)は実弟だった。