【阪神ドラフト選手特集・椎葉剛(2)】「合っていた」自主性重んじる島原中央・李監督の指導方針

 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた8選手(1~6位・育成1~2位)の連載企画。今回はドラフト2位・椎葉剛投手(21)=四国ILp・徳島=の高校時代を振り返る。

  ◇  ◇

 偶然が重なり、運命に導かれるように椎葉は島原中央に進学した。当初、別の右投手が入学予定だったのが急きょキャンセルとなり、野球部の李崇史監督(41)は中学2年の2月にチェックしていた椎葉のことを思い出して勧誘。島根県内の私立進学を周囲から勧められるも、悩んでいた椎葉にとっては“相思相愛”だった。

 李監督は面談で椎葉に聞かれた質問を、鮮明に覚えている。「『無理やり走らされるんですか?』と聞かれたんで、おまえが走りたかったら走ったらいいし、走りたくなかったら走らなくていいやん、と言いましたね」。この問答こそ、自主性を重んじる李監督の指導方針そのものだった。

 椎葉は高校時代の練習を、「自分がその日したいメニューを監督に送って、3人一組みたいな少人数制のグループに分かれて。自分で考えて、自分で取り組む感じで、自分はそれが合ってたかなと思います」と振り返る。ただ、当初は投手と三塁手でプレー予定だったのが、チーム事情により入学直後の5月から正捕手に。エースナンバーは同級生が背負い、椎葉はリリーフを任された。

 2年春、悲劇が起きる。試合中に右肩に違和感を抱くも、降板を申し出ることなく投げきった。その代償は大きく、右肩痛がなかなか治らずに9月末までの半年間、ノースロー。李監督は「さすがに長かったんで、ちょっと腐りつつはありました。それはまあ高校生なので当然。最初に痛めた時、こっちも気付けてたんちゃうかと非があると思って」と責任を感じ、病院探しに奔走した。

 復帰して迎えた3年春も、再発防止を第一に40球限定のマウンドを続けた。最後の夏は長崎県大会初戦敗退。甲子園とは縁遠い3年間で、プロは夢のまた夢だった。大学進学は念頭になく野球人生にピリオドを打つ選択肢もあったが、白球への情熱を完全に消し去ることはできなかった。

 ミキハウスのセレクションを投手として受験。ここで李監督は成長を感じた。「大学生も参加してる中で、相手が木製バットなら全然前に飛ばなくて。球威はやっぱりある。ようなってると思いましたね」。恩師の期待とは裏腹に、社会人野球の3年間でも椎葉の才能が開花することはなかった。

 ◆椎葉 剛(しいば・つよし) 2002年3月18日生まれ。大阪府出身。身長183センチ、体重92キロ。投手。右投げ右打ち。小学時代に高倉台ポニーズ、中学時代に富田林ボーイズ所属。島原中央高では主に捕手。ミキハウスで本格的に投手に。今季から四国ILp・徳島。最速は159キロ。球種はスライダー、カーブ、フォーク。

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