1985年 阪神日本一への礎を作った中西太氏 岡田&真弓を積極起用 掛布雅之は「師」と仰ぐ 若き鳥谷も指導

 中西太氏
 中西太氏のもとへあいさつする(右から)福留と鳥谷(2019年8月撮影)
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 強打の内野手として西鉄黄金時代を牽引し、阪神監督など指導者を歴任した中西太氏が死去したことが18日、分かった。90歳だった。

 阪神では第21代監督として、1980年途中、ブレイザー監督の辞任で打撃コーチから昇格。同時に春季キャンプでブレイザー監督から「力のある新人でもメジャーでは最初から試合に起用することはない」と告げられていた岡田彰布を二塁のレギュラーで抜擢した。

 岡田はオールスター第1戦でMVPを獲得するなど打率・290、18本塁打、54打点で新人王を獲得。この年は5位に低迷したが、真弓ら1985年に日本一を達成するメンバーを積極的に起用した。

 81年は3位に浮上したが、投手陣との対立もあり2年で退陣。ただミスタータイガースの異名をとった掛布雅之は「打撃の師」と仰ぐなど、日本一メンバーはその指導に心酔。時を経て岡田監督第一次政権となった2004年秋季キャンプでは臨時コーチとして1年目を終えたばかりの鳥谷を指導。翌年のレギュラー定着へとつながった。

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