前政権時トレーナー伊藤雅浩氏 阪神・岡田監督の細やかな気遣いから信頼関係つくった

 18年ぶりの“アレ”を目指す岡田彰布監督(65)へのエール企画「アレが見たい」。第19回は、岡田監督の前政権時をトレーナーとして支えた伊藤雅浩氏(49)。監督とトレーナーという関係性の中で感じ取った、岡田監督の人柄や当時のやりとりを振り返りつつ、自身も経験した歓喜の再現に期待した。

  ◇  ◇

 阪神には岡田さんが監督をされた2004年から2008年までお世話になりました。直接話す機会はそれほどなかったですが、いい意味で非常に細かさのある方でした。

 例えばトレーナーの現状を把握される時、トレーナーだけでなく、マネジャーやコーチなど部門の違う方にも、僕たちの分からないところで話を聞かれていたらしくて。その中でマイナスな話を聞いたとしても、そのまま受け入れるのではなく、最後は自分で判断されていたそうです。

 こういった考えをされていることは、阪神に入ってから後々知ったことです。優勝した2005年だったと思いますが、松山での遠征中にトレーナー陣を食事に連れて行ってくださいました。そこでそういった考えを聞いたり「オレはお前らを信じている」という言葉をいただきました。今でも忘れませんね。

 故障者がいる時にいつも聞かれたのは、痛みがあった上で、試合でプレーできるかどうか。できないなら、何日で戻れるのかということです。ただ、人の体のことでもあるので、伝えた日数で戻れないこともありました。

 そういった時には僕たちに対して、仕事ができないトレーナーという意味ではなく、信頼しているし見極めができると信じているからこそ、という意味で、今後はそういったことがないようにということを、強く言われたりしましたね。

 気遣いの部分で言うと、トレーナー室には来られなかったです。理由としては「選手には、見られたくないところもあるやろう」ということで。

 例えば、僕が選手の肩や肘を触っていたとします。それが痛みがあることへの治療ではなく、練習や試合の準備のための処置だとしても、そこを偶然、監督が見てしまった時に「こいつ大丈夫か?と思ってしまうこともあるかもしれない」と。そこで気を使ったりすることで、信頼関係も生まれないという考えだったそうです。

 だから、監督が個人的にトレーナー室に用事がある時に、別のスタッフの方に頼まれてました。監督の立場であれば当たり前のことかもしれないですが、そういった細かなところでも選手のことを考えられていましたね。

 岡田監督もそうですが、立場は変わっていても当時一緒に戦わせてもらった選手もいます。2005年に優勝させてもらった喜びは今でも忘れないです。あの時を上回る喜びというのはないですし、何としてもアレをしてもらいたい。必ず導いてくださる方だと信じて、陰ながら応援させていただきます。

 ◆伊藤雅浩(いとう・まさひろ)1973年12月26日生まれ。49歳。岩手県盛岡市出身。盛岡南高からカリフォルニア州立大フレズノ。在学中にナショナル・アスレチックトレーナーズアソシエーションの資格取得。2004年から08年まで阪神でトレーナーを務める。09年からはフリーとしてヤンキース・井川、阪神・久保田らと個人契約を結び、米大リーグのカブスにも入団。現在は兵庫県を拠点にして、さまざまな種目のスポーツ選手のケアなどに携わる。

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