【阪神ドラフト選手特集・戸井零士(2)】12歳の転機経て自ら追い込んだ高校時代

 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~6位・育成1位)の連載をお届けする。第5回はドラフト5位の戸井零士内野手(17)=天理=。

  ◇  ◇

 小5で硬球を握った零士はすぐに頭角を現した。中学で捕手から内野に転向。U-12日本代表の一員として、中1夏に台湾で開催されたワールドカップに出場した。大会の首位打者を獲得し、ベストナインにも選ばれる大活躍を見せた。

 「プロ野球選手に憧れはあったけど、自分がなれるとは思っていなかった」と言うが、侍ジャパンを通じて、同年代の全国レベルの選手に大いに刺激を受けた。「いざ、試合に行ったら結果を残せたので、プロ野球選手になりたいと思いました」。12歳の夏が零士にとっての野球人生の転機となった。

 高校は奈良の名門・天理に進学。15歳で自宅を出て、寮に入った。1年秋からメンバー入り。2年春のセンバツでチームは4強入りしたが、自身は計11打数1安打に終わった。「上のレベルになったらまだまだ技術が足りない」と自覚。「自分の代でも絶対に甲子園に出たい」とさらに練習に打ち込んだ。

 2年夏は奈良大会準決勝で敗退し、甲子園を逃した。天理は新チーム結成時に部員間投票で主将を決める。満票で零士が選ばれた。小・中で主将経験はなかったが「自分が引っ張るしかないと思っていた」と投票用紙に自分の名前を書き込んだ。覚悟の表れだった。

 高3春のセンバツは初戦敗退。零士はさらに自らを追い込んだ。天理では試合以外に練習も開放しており、保護者らがグラウンドに足を運ぶ。4月末からの大型連休前、零士は母・夕子さんに電話を入れた。「練習を見に来るのをやめてくれ」と伝えた。

 最後の夏を前に主将として、またプロ志望を決断した一人の選手として、練習中に監督から厳しい言葉を浴びせられる機会が増えていた。「監督に叱られても俺は大丈夫だけど、お母さんに聞かれるのがつらい」。夕子さんは「分かった」とだけ言って電話を切ると、親を気遣う息子の心に涙があふれ出た。

 3年前に祖父と交わした「甲子園で日本一」の約束は果たせなかったが、プロ入りの夢は実現した。名前の零士は「何事もゼロからスタートして、武士のような強い人間になれるように」と両親に命名された。「高校まで自分が野球をしていることで迷惑をかけることがすごくあったと思う。次は自分が野球を通じて家族に恩返しをしたい」。無限の可能性を秘めた大型遊撃手が、天国の祖父の思いも背負い、地元関西の人気球団でゼロからの勝負に挑む。

 ◇戸井 零士(とい・れいじ)2005年1月18日生まれ、17歳。大阪府出身。181センチ、82キロ。右投げ右打ち。内野手。天理から2022年度ドラフト5位で阪神から指名を受ける。小2で軟式のポルテベースボールクラブで野球を始める。小5から中3まで硬式の松原ボーイズに所属。天理では1年秋からメンバー入りし2年春、3年春夏に甲子園出場。

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