阪神・中野 ショートは譲れない!原点は社会人時代 固定されて“やりがい”発見

 阪神・中野拓夢内野手(25)は1年目の昨季途中から正遊撃手の座をつかんだ。だが、アマ時代には何度も二塁手へとシフトされた過去があった。恩師たちが背景を振り返りつつ、中野のショートへのこだわりを紹介する。

  ◇  ◇

 中野は学生時代に遊撃手の2番手だった時期があった。日大山形2年だった13年夏の甲子園2回戦・日大三戦。2番で起用され、初めて聖地に足を踏み入れた中野が向かった守備位置は二塁だった。

 高校には遊撃手として入学。現在も同校を率いる荒木準也監督(50)によると当時、後に巨人に入団する1学年上の奥村(現ヤクルト)を正遊撃手として起用する方向が決まっていたという。そこで中野を二塁へコンバート。「投げる、捕る。器用でセンスを感じる子でした」と2年夏から正二塁手となった。

 東北福祉大でも似たようなケースがあった。3年時、後にヤクルトに入団する元山が入部すると、中野は二塁へ。同大の大塚光二監督(54)は「中野は二塁でも難なくこなしていましたし」と器用さが故に守備位置が変更となった。

 遊撃手として固定されるようになったのは、社会人の三菱自動車岡崎から。入社当時の監督、野波尚伸氏(50)は「プロに行きたいとずっと言っていましたし、ショートをやらせたい」とプロ入りまでの2年間は遊撃で起用し続け、中野自身もやりがいを覚えたのはこの頃からだという。

 「高校や大学に特に悔しい気持ちはなくて、任されたところで頑張ろうと思っていましたね。でも、社会人ではずっとショートを守らせていただいて、自分はやっぱりショートがやりたいんだなって感じました」

 幼い頃に憧れた鳥谷と同じ場所でスポットライトを浴びている。「憧れである鳥谷選手が守っていたこともあるので、本当にショートがチームを引っ張って行くというくらいの気持ちがないと引っ張っていけない」。先輩に負けないショートになるため、正遊撃手の座を守り続ける。(デイリースポーツ・関谷文哉)

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