阪神・梅野 13年日米大学野球V時の恩師がエール「重圧耐えられる選手」

 東京五輪日本代表に内定している阪神・梅野隆太郎捕手(30)に、大学日本代表元監督の善波達也氏(58)=前明大監督=が21日、エールを送った。日の丸を背負い共に戦った恩師は「これから重圧を背負って戦うことになるが、それに耐えられる選手」と大舞台での活躍を願った。

 プロ野球選手となり、初の侍ジャパン入りを決めた梅野。2013年の大学日本代表以来となる日の丸のユニホームになるが、当時の代表監督だった善波さんにとっても朗報だった。一緒に日米大学野球選手権を戦った日々をこう思い返す。

 「本当に誇りに思っています。これから重圧を背負って戦うことになるが、それに耐えられる選手。代表に選ばれた時は、とてもうれしく思いました」

 初めて日本代表に選ばれたのは、大学2年時の日米大学野球選手権。開幕戦でスタメンマスクをかぶり、菅野(巨人)、東浜(ソフトバンク)らをリードした。その頃から目立つもの、必ず成長してくれるという確信があったと言う。

 「大学選手権で初めて彼を見ました。当時は2年生でしたが、肩の強さもあるし、バッティングもいい。将来的に打って守ってのキャッチャーになってくれるんじゃないかなという思いで大学日本代表に選びましたね。その時、自分は代表のコーチをやっていて投手と捕手を主に見る役割をしていたので、彼を代表入りに推していました」

 代表監督に就任した13年の同選手権でも梅野を代表に招集し、地方大学在籍選手では初となるキャプテンに任命。実力的にはまだまだ粗削りだったが、課題を与えると次の年には克服して代表チームに戻ってくる。その姿勢に大黒柱としてチームを支える存在になると認めていた。

 「1年、1年きちっと成長してくれていた。伝えたことはしっかりやって来るし、取り組みを含めて、きちっと責任感を持ってやっている。そういう面で、チームを引っ張っていってくれると思っていたので、キャプテンに選びました」

 主将として出場した日米大学野球選手権大会は、チーム事情により捕手を務めたのは亜大・嶺井(現DeNA)だった。梅野は4番・DH。本職の捕手ではなかったが、最終戦では大会第1号となるソロ本塁打を放つなど、託された仕事を全うして優勝に貢献した。

 「ゲームのキャッチャーとしては、嶺井を中心に使ったんだけど、梅野はDHで責任感を持って取り組んでくれた。キャプテンとしてもチームを引っ張っていってくれましたし、優勝という大きな成果を出してくれました」

 どのような役割でも、責任感と覚悟を持ち、試合に臨む梅野。東京五輪でも必ずチームの力になれると太鼓判を押す。

 「選出された順番を考えると、捕手は(ソフトバンクの)甲斐選手が中心にやっていくと思うんですけど。梅野もキャッチャーとして盗塁阻止率も高い選手に成長しているので、代わりに出ても遜色はないと思う。いつ『梅野いけ』と言われても大丈夫」

 7月28日に福島で開幕戦を迎えることが決定的な侍ジャパン。願うのは梅野の躍動と金メダルだ。

 「阪神の投手を引っ張る姿とか、試合に出続けているのを見ると、責任感を持ってやってやっているなと思います。それを代表でもできれば、梅野の力は出せる。重圧に耐えて、いい成果を出してもらいたい」

  ◇  ◇

 善波達也(よしなみ・たつや)1962年8月11日生まれ。58歳。神奈川県出身。桐蔭学園(神奈川)、明大、東京ガスでプレー。2004年から母校・明大のコーチとなり、08年に監督就任。リーグ優勝9回、神宮大会優勝2回。13年から3年間代表監督を務め、15年のユニバーシアードでは金メダルを獲得。17年には2度目の就任となった。19年度をもって退任。教え子には阪神・荒木、糸原、高山、坂本ら。

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