オープン戦初アーチの福岡に、阪神・佐藤輝が10年前に刻んだ信念と家族の思いとは

 1回、左越えへ先制ソロを放つ佐藤輝(撮影・田中太一)
 9回、高山の犠飛で生還し笑顔でナインとタッチを交わす佐藤輝(撮影・飯室逸平)
 6回、フルスイングでバットを折る佐藤輝(撮影・田中太一)
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 「オープン戦、ソフトバンク0-4阪神」(5日、ペイペイドーム)

 オープン戦初打席初アーチを記録したペイペイドームを、佐藤輝はタイガースジュニアの一員として小学6年時に訪れていた。当時はヤフードームという略称で、その時佐藤輝は、打席に立つことなく三塁のランナーコーチを務めただけ。厳密に言うと、強い信念で打席に立たないことを選んでいた。

 当時、佐藤輝は捕手などでプレーしていた中、タイガースジュニアに選出後に右肘痛を発症。結果的にその後、中学2年ごろまで1年以上のノースローを強いられた。ちなみにその間は野球部に所属しながらも「野球ができなかったのでサッカーもしていました」と振り返っているが、その右肘痛の影響で与えられた役割がランナーコーチだった。

 ただ、そうは言っても「NPB12球団ジュニアトーナメント」という大きな記念すべき舞台だ。試合に出れば、思い出にもなるだろう。当時の監督からは1打席だけでも打つかどうかを尋ねられたが、佐藤少年は首をタテに振らなかった。

 佐藤輝の父・博信さんは伝え聞いた当時のやり取りを「監督さんが『一度打ってみるか?』と言ってくださって。でも出なかったんです。『ケガをしてるから』って」と笑う。スタンドには家族や、当時所属していた甲東ブルーサンダースの仲間も来ていた。それでも、プレーを選択しなかったことを今でも後悔していない。当時の心境を佐藤輝はこう振り返っている。

 「そこでバットを振って、ケガが長引くのが嫌だなというのがありました。今思うと、いい判断だったと思いますね」

 仮に1打席だけ立つことでケガの状態がどうなったかは分からない。ただ、ここで際立つのは当時11歳の少年が、監督の気遣いの前に貫いた鋼の意志であり、それは今の佐藤輝にもつながる原点でもある。プロ入り前から「自信がなかったらここまで野球をやってないです」と言い切るなど、自分というものを持って歩んできた中で生まれた、福岡での衝撃的なアーチとなる。

 佐藤輝にとっておそらく忘れられないであろう一日は、家族にとっても同じ。母・晶子さんとテレビ観戦していた博信さんは「10年間の思いのこもったホームランですね」と格別の思いで活躍を眺めた。息子の信念を理解しながらも、福岡でタイガースのユニホームでのプレーを見たかったのも本音だ。叶わないままだった父の願いが最高の形で実現した一振りでもあった。(デイリースポーツ・道辻 歩)

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