巨人・長嶋よりうまかった阪神OB三宅秀史さん死去 重鎮も認めた牛若丸との三遊間

 軽快な守備を見せる三宅秀史さん=1962年7月
 広島戦で快音を響かせる三宅秀史さん=1962年4月
 病院スタッフに囲まれ、談笑する三宅秀史さん=04年
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 阪神は5日、球団OBの三宅秀史さんが3日に心不全のため、三重県内の病院で死去したことを発表した。86歳。岡山県出身。通夜、告別式は近親者のみで執り行われた。

 1953年に三塁手として入団した三宅さんは牛若丸・吉田義男と黄金の三遊間を組んだ。阪神のライバルである巨人は当時、ミスターこと長嶋茂雄が三塁を守り、遊撃の広岡達朗と三遊間を組んでいた。

 昨年5月、デイリースポーツの連載「昭和の虎模様」を執筆した平井隆司元編集局長は以下のように記している。

 当時の巨人・水原茂監督の言葉として、「うちの長嶋茂雄と三宅秀史とどっちがうまい?そんなの三宅に決まっているじゃないか」と即答し、川上哲治も「うちの長嶋と広岡の三遊間と阪神の2人と比べたらそりゃ、阪神のコンビだよ」と平然と言った。

 今は亡き球界の重鎮も三宅さんの守備を認めていた。吉田との三遊間に加え二塁の鎌田実とのトリオで「100万ドルの内野陣」と呼ばれる鉄壁の守備陣を形成した。今は亡き鎌田は生前、「試合前のシートノックでファンを沸かせていたんだ」と胸を張った。

 三宅さんは62年のシーズン中に試合前のキャッチボール中にボールを左目に受け記録は途絶えたが、04年に金本知憲に破られるまで、700試合連続フルイニング出場のNPB記録を保持していた。

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