阪神外国人選手列伝 92年パチョレック、打率・322で2位に貢献 翌年は腰痛悪化で引退

ジェームス・パチョレック(右)が中越え満塁本塁打を放ち、トーマス・オマリーに迎えられる=1992(平成4)年4月28日、甲子園球場
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 阪神は2020年、球団史上最多となる外国人選手8人体制でV奪回に挑む。球団創設85周年のメモリアルイヤー。かつてタテジマのユニホームに袖を通した助っ人を年度別で振り返る。1992年は大洋からパチョレックを獲得した。

 パチョレックは88年に来日し、大洋では4年連続打率3割をマーク。90年には打率・326で首位打者を獲得した。中村監督は「迫力には欠けるだろうが確実に3割を打ってくれるのはありがたい。レフトを守ってもらう予定で打順はオマリーとクリーンアップを組ませる。球界に精通しているし、性格もいいので楽しみだ」と期待のコメントを寄せた。

 阪神でもシュアな打撃は健在だった。4月14日・古巣の大洋戦では左中間へ134メートルの豪快弾。通算打率・326をマークしながら4年間在籍した大洋を解雇された理由は「大きい当たりがない」ということ。パチョレックは「大洋との初戦ということでエキサイトしたけど、これが終わればそんな感情はなくなるよ」と冷静に振り返り、「大きな球場でもホームランが打てるってことを見せられて良かったよ」と胸を張った。移籍1年目の92年は129試合の出場で打率・311、22本塁打、88打点。159安打はリーグ最多だった。ベストナイン、ゴールデングラブも受賞。“亀新フィーバー”の中、チームの2位躍進に貢献した。

 しかし、93年は持病の腰痛が悪化し、出場74試合で打率.243と低迷し、8月に引退を表明。同29日に出場選手登録を抹消され、代わって郭李が1軍昇格した。夏のロード中に引退を決めていたが「郭李が元気な姿で戻ってくるまで言い出せなかった」とパチョレック。この入れ替えを機に、正式に「引退」の意思を伝えた。直前までウエートトレに励み、引退会見はジャージー姿。全てに筋を通す、几帳面な性格の表れだった。

 会見ではファンに感謝を述べた。この年にオールスターに選ばれたことを挙げ、「こんなに悪いシーズンになるとは思わなかった。それでもファン投票で1位に選んでくれた。ファンの自分に対する票の重みを感じずにはいれなかった」と言葉を絞り出した。

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