阪神外国人選手列伝 2005年 シーツ、スペンサー、ブラウン、ダーウィン

 阪神は2020年、球団史上最多となる外国人選手8人体制でV奪回に挑む。球団創設85周年のメモリアルイヤー。かつてタテジマのユニホームに袖を通した助っ人を年度別で振り返る。リーグ優勝を果たした2005年は広島からシーツが移籍、スペンサー、ブラウン、ダーウィンが新加入し、ウィリアムスと合わせて、助っ人5人体制で臨んだ。

 シーツは日本で成功する秘けつを「一生懸命やりすぎずにリラックスして臨むこと」と言い、新天地でも勝負強さを発揮した。「3番一塁」として4番金本、5番今岡と強力クリーンアップを形成。7月26日・巨人戦では自身初の1試合3本塁打を上原、内海、岡島から放ち、巨人の自力優勝を消滅させた。同年は137試合、打率・289、19本塁打、85打点。守備のうまさに定評があり、05年から3年連続ゴールデングラブ賞を獲得した。

 スペンサーはヤンキースで4度のワールドシリーズを経験し、世界一にも輝いている。入団会見では「プレッシャーのかかる場面が好き。いい場面で打つのが楽しみ」。左投手に強く、相手の左右で桧山と併用となった。それでも「できる限りのことをやる」と不平を漏らさず、明るい性格でナイン、ファンから「スペさま」と愛された。8月のヤクルト戦では過去2本塁打と得意にしていた藤井の先発試合でベンチスタートとなり発奮。1-0の六回に代打2ランを放った。108試合、打率・243、9本塁打、33打点。阪神でも優勝に貢献した。

 ブラウンは来日時に「チームの助けをするために来た。先発ができたらと思っている」とコメント。アスレチックスにFA移籍した藪の穴埋めと期待されたが、11試合で、4勝1敗、防御率5・18と結果を残せなかった。

 ダーウィンは04年の秋季キャンプでテストを受けて合格。「長い間、日本でプレーしたいという気持ちがあった。興味を持っていたし、やっとテストのチャンスをもらった」。05年はわずか4試合、0勝1敗、防御率5・91に終わったが、06年49試合、07年35試合と登板数を増やした。

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