73歳にして絵本作家デビュー!その正体は伝説的怪奇漫画家・日野日出志だった

 可愛らしくも怪奇なタッチで描かれた妖怪たちが登場する絵本『ようかい でるでるばあ!!』(彩図社)が6月27日に発売される。イラストを担当したのは、これが絵本デビュー作となる73歳の“大型新人”、その名も日野日出志。『蔵六の奇病』(1970)、『地獄変』(1982)、『赤い蛇』(1983)などで昭和世代の子供たちを心底震え上がらせた怪奇漫画界の巨匠だ。しかもこの絵本が約15年ぶりの新作となる。日本のみならず、海外にも熱狂的ファンを持ち、監督としてもカルトホラー『ギニーピッグ2 血肉の華』(1985)、『マンホールの中の人魚』(1988)を世に放った人物が、今なぜ幼児向け絵本なのか?話を聞いた。

 手書きフォントのタイトル、カラフルな色使い、丸みをおびた描線。和の温もりを感じさせる木箱から飛び出す、ちょっぴり怖くでも可愛くデフォルメされた妖怪たち。怪奇漫画家・日野日出志のテイストを残しつつも、愛らしさが全体を包む。漫画家生活52年目の新境地かと思いきや「昔から民話や童話が大好きで、絵本を描きたいという願望はずっとあった。俺が一番やりたかったことはこれなんだっ!と、本来の自分のタッチを出すことができた」と原点回帰を強調。過去に描いた可愛らしいイラストポスターを仕事机に飾っているところからも、その優しい人柄が伝わってくる。

 怪奇漫画家としての活動をスタートさせたのは、少年漫画雑誌・少年画報に1970年に掲載された『蔵六の奇病』から。体を蝕む七色の奇病に侵された蔵六の悲しくも美しい運命を民話風に描いた内容で、漫画家としてのスタイルに悩んでいた当時23歳の日野は、絵を描くことだけが好きな孤独な男・蔵六に自らの姿を重ね合わせていた。「奇病に侵され、村人たちに迫害されても絵を描こうとする蔵六の姿は創作する人間の究極の姿。ビジュアルをグロテスクにしたのも、蔵六のピュアな魂が際立つという狙いがあったから。怪奇以上に作品の根底に流れる抒情性が評価されると思った」。

 着色も行い、制作に1年をかけた力作。しかし雑誌に掲載された際に付けられたサブタイトルは“日野日出志ショッキングワールド”だった。これに一番驚いたのは日野自身で「ショッキングなものを描こうとは思っていなかったので、まさにショックです。抒情ではなく怪奇にスポットが当たってしまい、以降私が描くものに対して読者はショッキングさを期待する。そこからズルズルと怪奇の世界に引きずり込まれてしまったわけです」。

 偶然か必然か、漫画家としてのスタイルは定まった。怪奇漫画家として書き下ろしコミックを発表したり、3冊のホラー系雑誌に同時連載を持つ多忙さも味わった。だが「本質的に私は杉浦茂先生のほのぼのギャグ漫画や民話、童話が大好きな性格。怪奇漫画家・日野日出志を演じて激しいストーリーを描くことがしんどくなってきて、50代を機に一度ペンを置くことにしました」。以降は大阪芸術大学で教鞭をとる日々。創作意欲は後進の輩出というエネルギーにとって代わっていった。

 転機が訪れたのは、2018年8月。経営難で知られる銚子電気鉄道が発売したスナック菓子「まずい棒」のキャラクター・まずえもん(魔図衛門)を書き下ろしたところ、日野の漫画でトラウマを味わった昭和世代からは驚きの声が上がり、日野を知らない若い世代からは「ブサ可愛い!」とSNSを中心に話題になった。それも後押しする形で、イラストを担当した念願の絵本『ようかい でるでるばあ!!』(文:寺井広樹)出版の流れとなった。

 「本来やりたかったことですから、15年のブランクは全くありませんでした」。メリハリをつけるためにページごとに色合いを変えたり、ページを覆う煙にだまし絵のような仕掛けを施したり、子供の目線に立って視覚的に楽しめるように工夫。ストーリーも寺井広樹氏と共に練り上げた。日本古来の有名な妖怪や日野オリジナルの妖怪も登場するが、ちょっぴり怖いが愛らしいというサジ加減が絶妙だ。

 「怪奇漫画家時代に苦心したのは、可愛く描かないということ。無意識で絵を描くとどうしても可愛いキャラクターになってしまうので、当時はその修正が一番大変でした。今回はその枷もありませんから、絵を描くってこんなに楽しいの!?と初めて思ったくらい。幼少期に杉浦茂先生の漫画を読んで感じた、ひなたぼっこをしているような気持ちになりました」。

 デジタルでは表現できない温もりも意識。「下書きとペン入れは手書き。基本の色はパソコンで着色しましたが、パソコンだけでフィニッシュすると温もりが感じられないので、水彩色鉛筆で木目や影などを手書きで足しました。手間はかかりますが、その分、味が出る」と細部にまでこだわった。イラストの制作期間は約2か月。幼稚園生から小学校低学年を購買ターゲットにしているが、オールドファンに向けての嬉しい遊び心も取り入れている。

 日野は「漫画家生活の中で積み重ねてきた“怪奇”と、自分の中に本来ある“可愛らしさ”や“ユーモア”が上手く融合できたと思います。怪奇という山を一旦下りて、小動物たちがいるような一番自分の居心地のいい麓に戻ったような感覚。担当編集者や印刷担当者が完成度の高さに驚いてくれたのも嬉しかった」と手応え十分。今後も絵本として表現したいアイデアは8個ほどあるという。昭和世代の子供たちを恐怖させてきた73歳の大型新人絵本作家は、新時代・令和の子供たちに笑顔を届けるつもりだ。

(まいどなニュース特約・石井隼人)

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