沢田研二の背中から見えた報じられない客席の真実~武道館で“共演”したレジェンド

阪神ファンとしても知られる沢田研二。ステージで「六甲おろし」を歌ったことも(2013年撮影)
沢田研二・日本武道館公演最終日の会場入口
沢田研二の武道館公演の現場で公開されたセットリスト
3枚

 歌手・沢田研二が1月19~21日に東京・日本武道館で開催した3日連続公演の最終日をステージの真後ろから見た。たまたまだった。昨秋、8000円のチケットをコンビニエンスストアで購入した時は席番がどこに位置するかも認識しておらず、当日になって、360度の客席中、舞台の背後の席だと初めて知った。演者の背中から、つまり“ジュリー目線”で見渡した会場には「関係者が4割」などの一部報道によるイメージとは真逆の光景が広がっていた。

 昨年10月、さいたまスーパーアリーナ公演を直前で中止。当事者のファンよりも、“外の世界”で問題視された。「空席が目立った」とされた理由から、1月の武道館公演直前には「無料招待メールが送られた」といった証言まで報じられた。

 だが、ふたを開けると約9000席はほぼ満席。ステージ真後ろの席に座ったことで、アリーナ席から1~2階席の観衆と対峙する形になったのをこれ幸いと、サッカー取材で使う双眼鏡で客席を見渡した。最上段まで9割近くの人がノリノリで手拍子を続けている。義理で座りに来た人が“4割”もいるとは思えなかった。仮に無料入場者が多かったとしても、その大半がファンだと実感できた。

 ギタリスト・柴山和彦との2人だけのステージには余白が広がっていた。道化師の衣装に身を包んだ古希の歌手は、その空間に他界した先輩やGS時代の仲間の姿を見ていた。

 「かまやつひろしさん、平尾昌晃さん、井上堯之さん、デイヴ平尾、加瀬邦彦さん…。きっと、このステージに集まってくれているんじゃないかと思うんです。(ワイルドワンズの)加瀬さんはギター持って、(ゴールデン・カップスの)平尾は『俺なんて1曲しかないんだから。長い髪の少女~』って(笑)。そういう人たちのことを思いながら、少なくとも、あと10年は歌い続けたい」。沢田は80歳現役を誓った。

 その半面、選曲に懐古的な要素はみじんもなかった。ヒット曲といえば、1曲目「カサブランカ・ダンディ」(1979年)とラスト18曲目「ヤマトより愛をこめて」(78年)。2曲目に佐野元春のカバー曲「彼女はデリケート」を入れて、東日本大震災の原発事故で被災した福島を歌う「F.A.P.P」(2011年)と憲法9条への思いを込めた「我が窮状」(08年)を歌い継ぎ、昨年発売のミニアルバムから新たに4曲を披露した。

 3曲目の「お前なら」に注目した。71年のタイガース解散後に萩原健一とツインボーカルをとったバンド「PYG」と「危険なふたり」でソロ歌手としての地位を確立した73年の端境期にあった72年のアルバム「今僕は倖せです」の収録曲だ。自身が初プロデュースし、全作を作詞作曲という同作の「DIY(自身でやる)」精神は、まさに今の沢田に通じるスタンスだった。

 「昔はジュリー、今はジジイ」。本人は自虐的に笑わせるが、「お前なら」という47年前の曲を今歌うことによって、70歳になってもジュリーはジュリーであることを感じた。昨年7月から始まった今ツアーは、さいたまSAの代替公演、2月7日・大宮ソニックシティで完走となる。(デイリースポーツ・北村泰介)

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