不安いっぱい西野ジャパン 本番であるか「監督解任ブースト」
サッカー界でまことしやかに語られる「監督解任ブースト」という現象。不振のチームが監督解任を機に急上昇するという意味だ。本当にそんな現象があるのか。国内外の近年の事例を集めてみた。(敬称略)
公開日:2018.6.1
1994年 ファルカン解任→ゾーンプレスの加茂周に
ドーハの悲劇でW杯初出場を逃した日本は、オフト監督の後任に元ブラジル代表・ファルカンを選んだ。小倉、前園らの抜擢と岩本輝雄の10番など若手起用に積極的だったが、キリン杯でフランスに惨敗、広島アジア大会では韓国に準々決勝で敗れたことで年を越せずに解任された。

ファルカンの後を受け、94年12月に11カ月契約で就任した加茂周。J創設前の日本リーグ時代に「ゾーンプレス」を引っさげて日産(現・横浜Fマリノス)を3冠に導いた手腕を期待されたが、95年のコンフェデ杯を2連敗で敗退。監督交代論もあった中で契約延長されて臨んだ翌年のアジア杯でも準々決勝でクウェート破れる。97年のW杯アジア最終予選でカザフスタン相手に引き分けて1勝2分け1敗となり、現地で解任された。W杯予選中の解任は日本サッカー史上初。
1997年 最終予選中に就任した加茂の後任・岡田武史の下、W杯初出場

加茂ジャパンのコーチを務めていた岡田武史は、初の指揮となった試合から2戦連続引き分けだったが、ラスト2戦に連勝して辛くも2位に食い込んでイランとの第3代表決定戦に進んだ。この大一番に勝った日本はW杯初出場。「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれた試合は、深夜にもかかわらず平均視聴率47.9%を記録した。本大会も指揮を執った岡田だがグループリーグ3戦全敗に終わった。
岡田は11年にも脳梗塞で倒れたオシム監督の後任として日本代表を指揮、W杯南アフリカ大会でアウェーでは初となる16強に進出した。
2015年 八百長関与疑惑でアギーレ解任→ハリルホジッチに

14年ブラジル大会で「自分たちのサッカー」に固執して1分け2敗と醜態をさらした日本代表。ザッケローニ監督の後任としてメキシコ人のアギーレ監督が就任した。11年大会に続く連覇(5度目の優勝)を目指して臨んだ15年アジア大会は、グループリーグこそ無失点の3連勝で首位突破したものの、準々決勝でPK戦の末にUAEに敗れた。同年2月に、2011年スペインでの監督時代の八百長関与疑惑で告発されたことを受けて解任され、後任にハリルホジッチが就任した。
