「無我の伝道師」「闘う哲学者」元プロレスラー西村修さん死去 53歳 ステージ4の食道がんで闘病も
新日本プロレスなどで活躍し、ステージ4の食道がんで闘病していた西村修さんが28日に死去した。53歳だった。東京都文京区出身で、文京区議会議員も務めていた。
独特のキャラクターから「無我の伝道師」「闘う哲学者」などの異名を取った西村さんが、帰らぬ人となった。2024年に検査の結果、食道がんを患っていることが判明し、ステージ4と診断されたことを公表。闘病を続けていた。
西村さんは1990年4月に新日本プロレスに入門し、91年4月21日の飯塚孝之戦でデビューした。93年、米国への武者修行に出発。翌年に新日本から帰国指令が出たものの、拒否した。95年に帰国し、藤波辰爾の自主興行『無我』の旗揚げ戦に参加した。
カール・ゴッチらに師事し、相手の体を固定してダメージを与え続けるサブミッションを得意とし、頭角を現していった。2001年9月には藤波と組み、天山広吉、小嶋聡組に勝って、IWGPタッグ王座のタイトルを獲得。一方で、マイクパフォーマンスの際に説法するなどして人気を博した。06年1月に新日本を退団し、その後は無我や全日本などに参戦した。
11年には文京区議会議員選挙に初当選。議員、レスラーとして活動の幅を広げた。昨年8月には、富士通スタジアム川崎で行われた「テリー・ファンク一周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会」に出場。最後の来日を果たし、師事したドリー・ファンク・ジュニアと組み、大仁田、雷神矢口組との電流爆破デスマッチに臨んだ。火花が散り、爆音が鳴り響く中、身をていして師匠を守るシーンもあり、勝利をアシストした。
今年1月31日には後楽園ホールで行われた「ジャイアント馬場没25年追善興行」を体調不良で欠場。代わりに藤波が参戦した。新日本プロレスは公式サイトで「謹んで、西村修さんのご冥福をお祈りいたします」、全日本プロレスも公式サイトで「所属選手・スタッフ一同、哀悼の意を表し、謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼した。





