黄金のバンタム ジョフレさん死去 ファイティング原田と名勝負2度の激闘

 死力の15ラウンドを戦い抜き、互いの健闘をたたえ合うエデル・ジョフレ(左)とファイティング原田=1966年5月
 1966年5月、世界バンタム級タイトルマッチでファイティング原田(右)と激しく打ち合うエデル・ジョフレ
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 1960年代にボクシングの世界王者として「黄金のバンタム」とたたえられ、ファイティング原田と激闘を繰り広げたエデル・ジョフレさんが2日、肺炎による合併症のため、出身地であるブラジルのサンパウロで死去した。86歳。3日、関係者が明らかにした。65年5月、50戦無敗で迎えた原田戦では一進一退の攻防の末、1-2の判定で王座を陥落し、翌年の再戦でも敗れた。同戦は視聴率63・7パーセントを記録し、列島を熱狂させた。今なお「バンタム級史上最強ボクサー」と称される。

 「ガロ・デ・オーロ(黄金のバンタム)」が天国へ旅立った。長い歴史を誇る同級は、数々の名チャンプを生んだ。それでも不思議なほど専門家の間で、ナンバーワンは半世紀以上も不動。その座を譲らないのが、ジョフレである。

 ブラジル初の世界王者として時代を席巻した。「黄金のバンタム」という言葉は階級ではなく、ジョフレさんの無類の強さを形容するものだ。日本でも世界戦を3度闘い、強烈な印象を残した。パワーとテクニックは出色だった。

 60年に世界バンタム級王座に就くと、無人の野を突っ走り、特に強豪ジョー・メデル(メキシコ)をKOした試合ではすごみを見せつけた。63年、6度目の防衛戦で初来日した。強打のサウスポー、青木勝利を3回、左フックのボディーブローで完璧に仕留め、日本のファンに世界の広さを印象づけた。

 8連続でKO防衛し、65年5月、ファイティング原田を相手にした。4回にダウン寸前のピンチに立たされ、小差の判定で王座を失った。しかし、5回、逆に原田をグロッギーに追い込んだ意地が名勝負をつくり上げた。

 66年5月の再戦を含めて原田に敗れたショックは大きく、引退を表明したが、3年後に復帰。73年5月、WBCフェザー級王座を奪い、37歳で2階級制覇を果たした。

 ◆エデル・ジョフレ 1936年3月26日、ブラジル・サンパウロ出身。1956年メルボルン五輪出場。アマ通算148勝2敗。57年にプロ転向し60年、世界バンタム級王座を奪取。「メガトンパンチ」の青木勝利を3回KO、矢尾板貞雄を10回KOなど名勝負を演じた。プロ72勝(50KO)、4引き分け、2敗。黒星はファイティング原田に喫したのみ。オーソドックスでガードを高く上げ、攻守に高い技術と強打を誇った。サンパウロ市議を務めた。

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