アントニオ猪木氏が死去 “燃える闘魂”燃え尽きた79年

 アントニオ猪木氏=2020年撮影
 巌流島でマサ斎藤と対決したアントニオ猪木=1987年10月4日
 巌流島でマサ斎藤と対決したアントニオ猪木(左)=1987年10月4日
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 元プロレスラーで、元参議院議員の“燃える闘魂”アントニオ猪木(あんとにおいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ=)さんが1日、死去した。79歳だった。横浜市出身。

 猪木さんは21年1月15日に自らのツイッターで「腰の治療の為にしばらく入院致します」と報告。同3月1日の投稿ではリハビリする動画とともに「アントニオ猪木最強の敵と闘っています」とつづった。およそ3週間ぶりとなった同6月12日のYouTube動画では「腸が剥がれちゃったみたいで」と再入院を告白。ベッドに横たわるやせた姿に、心配の声が数多く寄せられていた。

 20年7月には19年秋に特定疾患に指定されている難病「心アミロイドーシス」に冒されていることを発表した。心臓の機能が障害を受ける病気で、病状が進行すると収縮する能力が落ち、心不全や不整脈が発生する可能性もある大病だった。

 猪木さんは1943年2月20日生まれ。横浜氏出身。得意技はコブラツイスト、卍固め、延髄斬りなど。4度の結婚歴があり2度目の相手は女優の倍賞美津子だった。

 56年、13歳の時に家族でブラジル・サンパウロに移住。60年に遠征中の力道山にスカウトされ、日本プロレスに入団した。ジャイアント馬場との「BI砲」として活躍するなど人気を博したが、同団体との確執もあり71年に追放処分を受けた。

 72年に新日本プロレスを旗揚げ。自身の数々の名勝負と、人気外国人レスラーの招へいなどで、プロレス黄金時代を築いた。異種格闘技にも挑戦。76年には当時のボクシングヘビー級王者モハメド・アリとの「世紀の一戦」を実現させた。98年に引退。引退後は多くのプロレス格闘技団体、イベントをプロデュースした。

 89年にはスポーツ平和党を結成し、同年の参議院議員選挙に初当選。90年の湾岸危機では日本人人質が連行されているイラクで「平和の祭典」を開催。その後、一連のスキャンダルで95年に落選した。

 13年には日本維新の会から出馬。18年ぶりの国政復帰を果たした。同年の北朝鮮の朝鮮戦争休戦60年記念式典に出席。その後も何度も訪朝を実現させた。14年に離党。19年に政界引退した。

 人生において数々の名言も残した。「元気が一番、元気があれば何でもできる」「落ちたらまたはいあがってくればいいだけのこと」「踏み出せば、その一歩が道となる」「道はどんなに険しくとも。笑いながら歩こうぜ」「子供に夢を持たせたければ、大人こそ夢を持て」-

 燃える闘魂は最強の敵との最後の戦いを終え、天国へ旅立った。

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