島野りーみん 美人は全員倒す!ガールズケイリンからプロボクサーへ

 ガールズケイリン選手からプロボクサーに異例の転向を果たした島野りーみん(35)=TEAM 10 COUNT=が7月29日、デビュー戦を1回TKO勝利で飾った。競輪からボクサー転向は初めてのケース。一方、ボートレーサーを目指しながら世界チャンピオンになったのが今をときめくWBC世界ライトフライ級王者の拳四朗(25)=BMB=だ。公営競技とボクシングの関係に注目した。

 後楽園ホールのリング上、レフェリーがりーみんの右手を上げた。椙元慧(すぎもと・けい=新日本カスガ)とのデビュー対決は島野がパワフルなワンツーの連打で圧倒。1回1分42秒TKO勝利だった。

 試合後は「チョー緊張しました。(ケイリン界から)応援がたくさん来てくれたので、ケイリンをやめて情けないところを見せるわけにいかなかった」と笑顔満開。「ワンツーしか教えていない」という鳥海純会長も「合格点です。プロとしてスタートしましたね」と喜んだ。ボクシングに憑(つ)かれ、振り回され、10年以上かけてたどり着いた瞬間だった。

 高校卒業後に留学した米サンディエゴ州立大でボクシングを知った。「最初はボクササイズ。楽しくなって、300人くらい出る女子の草ボクシング大会にも出た」という。

 帰国後「大阪の実家が北京飯店という中華料理店なので」という理由?で、ボクシングで08年北京五輪出場を目指した。この頃『探偵ナイトスクープ』にも取り上げられている。しかし、女子ボクシングは北京で採用されず「ああ、ダメなんだ。また、アメリカでアマボクシングを続けていました」と、失恋と未練の日々が始まる。

 12年に、ボクシングを諦めて帰国すると『50年ぶり 女子ケイリン選手募集』の記事が目にとまった。「今からでもプロスポーツ選手になれるチャンスがあるのかな、ってすごい軽い気持ちで受けたら受かっちゃった!」と、ガールズケイリン選手が誕生。7月1日のオープニングレースでは圧勝した。

 競輪選手として活躍しながら、ボクシングでロンドン五輪を目指すお笑いタレント・しずちゃんが気になるなど、恋心はくすぶっていた。デビュー3年後、気になっていた地元・平塚駅前のジムの門をたたいた。「行けばはまっちゃうと思いながら…」

 ケイリンは仕事、ボクシングは一体-。「ケイリンの練習時間も削っていたので成績がどんどん下がって…。どっちを取るか、師匠に相談したら『どっちでもいいけど自分で選べ。どっちかにしろ』と言われた。ケイリンをやり尽くした感はない。ただ、てんびんにかけるとボクシングの方が全然重かった」と分かった。「収入はケイリンの方が良かった。1000万くらいは毎年ある。それを捨てて今は無収入です」と屈託ない。

 東京五輪出場を目指し「15年の全日本にエントリーして、(日本ボクシング連盟の)山根明会長に2人で直談判に行ったんですが、今のルールじゃできない、と」(鳥海会長)とかなわず。りーみんも「まさか他のプロスポーツ選手はだめだ、とは。ルールが変わることを期待させる言葉をもらったけど1年間何も変わらなくて、どうしても試合がしたくて我慢できなかった」というのがプロを決意した理由だった。

 目標は「日本、東洋、世界の全タイトルを取るつもり。自分としては、この3年が勝負と考えている」と勇ましい。さらに「『美人すぎるボクサー』と呼ばれたいんですけど、会長から『お前、そりゃ無理だ。美人を全員倒したらなれるよ』と言われているので、取りあえず美人を全員倒します」と、りーみんはどこまでも明るい。

  ◇  ◇

 島野りーみん(しまの・麗敏)1982年4月12日、大阪市出身。TEAM10COUNT所属の女子プロボクサー。両親とも中国人で、01年に日本国籍取得。旧姓・中山。12年7月1日、48年ぶりに復活したガールズケイリン1期生としてホームバンクの平塚競輪場でデビュー。オープニングレースで圧勝。16年2月に引退。17年3月、ボクシングのプロテスト合格。7月29日、後楽園ホールでデビューし1回TKO勝利を飾る。15年4月に結婚した夫の彰仁(あきよし)さんと2人暮らし。

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