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阿修羅原さん死去 天龍あえて無言貫く

 試合後、控え室で天龍源一郎(左)と取材に応じる=92年1月
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 元プロレスラーで、天龍源一郎(65)とのタッグで活躍した阿修羅原(あしゅら・はら)さん(本名・原進)が28日午前5時15分、肺炎のため長崎県雲仙市の病院で死去した。68歳だった。ラグビー日本代表から転身し、77年に国際プロレス入り。海外遠征を経て翌年デビューし、全日本入り後の87年には天龍同盟を結成して一時代を築いた。

 11月にリングを去る盟友・天龍を見届けることなく、原さんがこの世を去った。94年10月29日にWARの地元・長崎大会で引退した後、表舞台から去っていたが、約10年前には母校の諫早農業高ラグビー部を指導。レスラー時代にひざを痛めていたため、杖(つえ)をついていたものの、元気な姿を見せていたという。その後体調を崩し、関係者は「ここ3、4年は入院していたようだ」と話した。

 ラグビー日本代表から国際プロレス入りした際は将来を嘱望され、リングネームの『阿修羅原』は作家・野坂昭如氏から贈られたものだった。国際時代の79年にはWWU世界ジュニア王座を獲得。80年には新日本マットで藤波辰巳(現・辰爾)のWWFジュニア王座に挑戦した。国際崩壊後、全日本入りし、87年に天龍と「天龍同盟」を結成。2人でPWFタッグ王座を獲得するなど、素質が花開いた。

 88年11月に私生活の乱れを理由に全日本を解雇されたが、91年にSWSで復帰。引退まで天龍と行動をともにした。無類の打たれ強さを誇った原さんが、天龍の輝きを支えたことは間違いない。天龍はこの日の会見前に訃報を耳にしていたというが、あえて無言を貫いて故人をしのんだ。ファンを熱狂させた“龍原砲”の並び立つ姿をもう1度見たかった。

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