川口裕“運命の日”に初の王座挑戦

 「日本バンタム級王座決定戦」(13日、IMPホール)

 「本当に運命に導かれているとしか思えない」‐。4月から日本ボクシングの名門・大阪のグリーンツダジム新会長に就任した本石昌也氏(38)は、そう言って“弟”のいる天を見上げた。

 4月13日、大阪・IMPホールで行われる日本バンタム級王座決定戦。同ジムのエースで同級1位・川口裕が同級2位・益田健太郎(新日本木村)と初のベルトをかけ戦う。同日は元OPBF東洋太平洋フライ級王者・小松則幸さん(享年29)が突然の死を遂げた命日だった。

 本石会長は5年前を1日たりとも忘れたことはない。あの日、小松とともに座禅修行を行っていた京都市の寺から、滋賀県大津市の滝へ数人で向かった。

 「滝壺を見てきます」と小松さんは言い残し、会長は「気を付けてな」と返した。それが最後の会話。その後、行方不明となった小松さんは滝壺で亡くなっているのが発見された。足を滑らせ転落、溺死したとみられる。

 「出会ってから4年2カ月、小松とはずっと一緒にいた」。金融会社に勤めていた05年、大阪府寝屋川市の香里園駅で小松さんを偶然見かけ、「ファンです。握手してください」と懇願した。

 「小松というボクサーが1番大好きだった。中学から試合会場で多くのボクサーを見たが、すごいオーラで魅力を感じた」。

 競技経験の一切ない1人のボクシングファンと、世界王者を狙う男が赤い糸で結ばれるように意気投合。「何もかも相談してくれる」と言う程、一心同体の関係になった。3歳下の“弟”から「アニキ」と慕われた。

 小松さんがエディタウンゼントからグリーンツダにジム移籍する際、「一緒に来てください。個人マネジャーになって欲しい。信頼している人とやりたい」と頼まれ快諾。ボクシング未経験者が、ミット打ちを受けるため、映像を何度も見て日々、修練した。

 07年、同ジムが多額の負債を抱え破産した時、マネジャーに就任した。そして09年4月13日の悲劇。告別式の翌日、「小松の目標、世界王者をつくる」と決意。月収100万円を稼いでいた金融会社を辞めた。

 競技もジム運営も素人。「本当に苦労した。誰からも相手にされなかった」と当時を振り返る。しかし「小松はあきらめなかったじゃないか」と自らに言い聞かせ努力。周囲から次第に認められ、会長職を託された。月命日と試合日には必ず、小松さんの実家で手を合わせ、世界王者を誓ってきた。

 4月13日、会長就任後、初の興行となる日本タイトル戦を戦うのが小松さんの前ジムからの後輩・川口だ。「何も仕組んだわけじゃない。小松の後輩が命日に王座戦。しかも小松が最後に勝った場所、最後に負けた場所がIMPホール。小松の最後のスパー相手が川口。その川口が王者になれないわけがない」。怖いほどの“重なり”に、勝利をもはや確信している。

 初の王座を狙う川口は小松さんのガウンをまとい、小松さんの入場曲、TOM★CATの「TOUGH BOY」でリングに上がる。「中学でボクシングを始めて以来、背中をずっと見てきた。練習姿勢、気持ち面、1番尊敬してきた。一緒にリングに上がりたい。『お前、取れよ』って見守ってくれていると思う。これで負けたらネタにしかならない」と、小松魂で必勝を誓った。

 井岡弘樹(WBCミニマム級・WBAライトフライ級)、山口圭司(WBAライトフライ級)、高山勝成(WBA暫定・WBCミニマム級)と3人の王者を輩出した名門も、近年は低迷。07年に丸元大成が東洋太平洋ウェルター級王座を失って以来、ベルトがない。

 「小松のことは一生、忘れることはないけど、この日(4月13日)が終わった時、僕もジムも何か一つの区切り、出発点と思っているんです。世界王者をつくるという目標への第一歩が始まるんです」と本石会長。

 同ジム7年ぶり戴冠で、名門復活の道が開けるか‐。13日、運命のゴングが鳴る。

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