カウス・ボタン師匠50年もコンビ組み続けるってすごい

 「漫才師」の肩書きにこだわるハイヒール・リンゴ。大先輩の中田カウス・ボタンが50周年を迎えたことに、その積み重ねた歴史に感嘆する。同時に、漫才の相方には当事者にしか分からない思いを語った。

   ◇    ◇

 中田カウス・ボタン師匠が50周年を迎えられました。50年もコンビを組み続けるってすごいことなんですよ。お互い10代の頃に組まれたからこそ、迎えられたんだと思います。

 私がモモコとコンビを組んだのは20歳のとき。50周年って70歳ですからね。生きてるかもしれんけど、健康かどうかわからないし。50年、お二人ともご健在でやられるって素晴らしいことだと思うんですよ。若井小づえ・みどりさんにしても、今いくよ・くるよさんにしても、コンビのお一方が亡くなられるともう漫才はできない。

 Wヤングの平川幸男師匠は、最初コンビを組まれていた中田治雄師匠が亡くなられて、その後、佐藤武志師匠と組まれた。新しい相方と、もう一度コンビをやるって、もの凄いエネルギーのいることなんです。私もモモコも、そうなったらしないというか、できないと思います。

 漫才の相方って、かけがえのないというか、漫才をした人しか分からない。友だちでもないし、他人で組んでる場合は兄弟姉妹でもないし、仕事仲間でもないし、どの言葉も当てはまらないんですよ。

 太平サブロー・シローさんが解散し、その後にシロー兄さんが亡くなられたときに、サブロー兄さんにマスコミが集まりました。でも私たち漫才師からすると、答えようがないというのが見て取れた。一回コンビ別れしてしまった相方への思いって言うのは、誰にもわからへんと思います。

 カウス・ボタン師匠も、もちろんケンカもあったと思います。でもそのうえで「ケンカからは何も生まれないから、前向きに考えてやってこられた」とおっしゃっていた。素晴らしいと思います。

 お二人とも、ものすごくおちゃめなんですよ。カウス師匠はいたずら好きで、人生幸朗師匠の眼鏡を真っ赤にマジックで塗って、幸朗師匠が起きると目の前が真っ赤だから「火事やー」って大騒ぎになったのは、楽屋では有名な話です。

 私も以前、舞台でご一緒したとき、飛び出しで東京に行く仕事があり、舞台袖に荷物を置いていたんです。するとそれを見たカウス師匠が「次に仕事か?頑張ってこいや」って。で、出番が終わって飛び出したんですけど、何かバッグが若干重い気がする。でも気のせいだと思っていたんです。

 空港に到着し、手荷物チェックをすると、バッグから舞台でセットを固定する時に使う鉄のおもりが出てきた。空港の人には「コレなんですか?」と。やられた!カウス師匠や~と。でも舞台に使うもんやから捨ててしまうわけにもいかない。だから空港に一端預けて、また取りに行くはめになったんですよ。

 師匠はアルマーニのスーツを着こなしておしゃれにやりたいというのがおありだから、ジムに通って体をキープされている。以前お休みされていたときに、楽屋にあいさつにこられたことがあったんです。そのとき後輩が不義理して楽屋がもめてしまった。するとボタン師匠が「休みついでにいてもうたろか!」ってイスを飛び越えられて(笑)。「俺、休んでるから何も怖ないねん」っておっしゃって、バーンと行こうとしたんです。でもカウス師匠はニコニコ笑って止めない。結局、チャンバラトリオ師匠が止められたんですけど、そのときの息とか、間とかも舞台に通じるものがありました。

 お二人にはまだまだ、漫才界をけん引していただきたいですね。

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