36歳のカープOB、指導者で目指す甲子園の夢 島根・矢上高の山本翔監督
広島カープの元捕手だった山本翔さん(36)は現在、島根県邑南町にある県立矢上高校の野球部監督を務めている。広島県との県境に位置し、豊かな自然に囲まれた同高のグラウンド。ノックバットを手にする山本監督の顔は生き生きと輝いていた。1球ごとに選手に声をかけ、アドバイスを送る。その言葉に応えるように、選手も笑顔で白球を追いかける姿が印象的だ。
「『矢上スマイル』を大事にしようって選手にはいつも話しているんです。僕が作った造語なんですけど、常に笑顔で元気にプレーしていれば、いい結果もついてくるし、地域の人からも応援してもらえる。去年の全英女子オープンで優勝した渋野選手の『日向子スマイル』を見て、これだ!って思ったんです」。山本監督はうれしそうに教えてくれた。
紆余曲折の野球人生を送ってきた。福岡県の東筑高から02年にドラフト5巡目でカープに入団。9年間在籍したが、1軍出場の機会には恵まれなかった。退団後は外資系の生命保険会社に就職。「一からのスタート。保険のことや会話術など猛勉強しました。たくさん本を読みましたし、資格を取るために、いろんな講習会にも足を運びました」。真面目で勤勉。加えて明るい人柄と旺盛なバイタリティーを武器に、あっという間にトップセールスマンとなった。
会社員として働きながら、11、12年は広島安佐ボーイズの小学部を指導。13、14年は広経大の監督を務め、14年春にはリーグ優勝に導き、全日本大学選手権にも出場した。15、16年は再び広島安佐ボーイズの中学部を指導し、中四国大会で優勝。指導者としてのキャリアを積み重ねた。
転機が訪れたのは17年3月。「地域の活性化のために若者を指導してほしい」という誘いを受け、邑南町の職員に転職。同年7月に矢上高の監督にも就任した。当時は1回戦負けが当たり前のチームだったが、山本監督を慕って広島から越境入学する生徒も増え、わずか1年で強豪校に成長。18年の秋季県大会で4強入りを果たすと、昨年の秋季県大会では初優勝。中国大会は準々決勝で惜敗し、今春のセンバツ出場は逃したが、就任時は夢物語だった甲子園がはっきりと見えてきた。
「カープで野球を学ばせてもらった9年間はもちろんですが、保険会社では人との信頼関係を築くためのコミュニケーションの大切さを学びました。また、小、中学生や大学野球の監督として、あらゆる世代の指導に携われたことも大きかった。いろんな経験がすべて今につながっています」
カープでは同期に現巨人の大竹、現在は解説者をしている天谷氏らがいた。大卒で入った石原慶はまだ現役を続けている。1軍の厚い壁に阻まれ、華々しいプロ生活とは無縁の9年間だったが、「練習も必死でやったし、やりきったという思いしかない。だからトライアウトも受けませんでした。後悔はありません。苦しかったけど多くの経験と財産を得られました」
邑南町には家族で移住した。仕事は教育委員会生涯学習課に籍を置き、野球場などの施設管理を担当。終業後に学校へ足を運び、野球部の指導と忙しい日々を送っている。「選手はみんな素直な子ばかり。伸びしろを感じます」と目を細め、「長い間、野球をやってきましたけど、今が一番楽しい。町の職員として地域を活性化するのが僕の仕事でもありますから、早く子供たちを甲子園に連れて行って、町の皆さんにも喜んでもらいたいですね」。夏を見据える山本監督の言葉に力がこもった。
◆山本翔(やまもと・しょう)1984年1月13日生まれ。福岡県北九州市出身。現役時代は右投げ右打ちの捕手。背番号61。福岡・東筑高時代は甲子園出場経験はなし。01年度ドラフト5巡目で広島に入団。9年間現役生活を送り、10年に退団した。家族は妻と2女。