2度の落馬を乗り越え、元JRA騎手が東京パラリンピックへGO!

 落馬事故により引退を余儀なくされ、「パラ馬術」に転向した元日本中央競馬会(JRA)騎手の常石勝義さん(42=明石乗馬協会)は現在「2020東京パラリンピック」に向け、奮闘中だ。17日からは関門の「第65回東京馬術大会」(静岡県御殿場市)に出場。数々のハードルを乗り越え、夢に向かって突き進む。

 逆境を逆境と思うことなどなかった。”常ちゃん”にとって馬に乗ることは生きること。目標にしていた東京パラリンピックまで10カ月余りとなり、今度の御殿場は競馬に例えるなら上がり3ハロンに差し掛かったところだ。代表決定の来春に向け、当然気合も入る。

 「国内では今年最後の大きな大会。1点でも多くポイントを加算しないといけませんよね」

 花の12期生として1996年に騎手デビュー。以来嘆かわしいまでの困難と闘ってきた。この年8月、最初の落馬。2004年8月、2度目の落馬で死の淵をさまよい、07年2月に高次脳機能障害のため引退した。

 その後は競馬ライターとして活躍。13年からパラ馬術を始めたが、記憶障害と左半身の麻痺は解消されたわけではない。そんな中、その年の9月、まるで運命だったかのように東京五輪開催が決定。持ち前の楽天家はテレビの前で「オレ、ここに行くしかないやん」と言い放った。

 だが、競技の難しさに加え、正直言って何かと費用がかさむ。好成績を収めるためには乗りこなして愛馬との関係を深める必要があり、現在は国内にヴェスレイS(牝21歳)、本場ドイツにトムソングラマー(牝11歳)をリース契約。馬の維持費や遠征費などを捻出するため「自分の家を売ってでも」と覚悟を決めている。

 「いいスポンサーさんが見つかるとうれしいんですけどね。そのためにも頑張らなきゃ」

 パラ馬術は96年アトランタ大会から正式種目となり、人馬の一体感や美しさ、正確さを競う。障がいの程度に応じ5段階に分かれ、最も重いのがグレード1。常ちゃんは今年、グレード4から3になった。母・由美子さんは「少し有利になった反面、新たなコースを覚えないといけないので大変です」と話す。

 競馬と馬術の違いにも戸惑った。スピードが上がると昔取った杵柄でついつい前傾姿勢に。「よく注意されています」

 騎手時代から性格は明るく、だれからも、だれよりも愛された。落馬した1年後の97年、タケイチケントウで小倉2歳ステークスを優勝。因縁の場所での重賞初制覇に何人がもらい泣きしたことか。

 03年にはビッグテーストで中山グランドジャンプ、オースミコスモで関屋記念を勝った。通算82勝。だが、常石勝義という不屈の生き様はその数字以上に競馬ファンの心に刻まれている。

 「レースは辞めたけれど、馬に乗れる。パラ馬術、東京パラリンピックは生きる証しです。最強ライバルはオレの脳。負けませんよ」

 エヘヘと笑った常ちゃん。失ったものは少なくないが、チャレンジ精神とアスリートとしての矜持は失っていない。4人の代表枠へ、あと一歩。聖火ランナーも狙っているが、もちろん、日の丸を背負って夢の大舞台に立つつもりだ。

(まいどなニュース特約・山本 智行)

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