ゴールデンウィーク…病院で思ったこと

 「町医者の独り言・第18回」

 ゴールデンウィークに入りましたが、私にはこれといった予定がありません。今も病院に来てコラムを書いております。元来、行列に並んだり、人混みの中で揉みくちゃにされるのが得意ではないので、以前から大型連休には病院で雑務をしたり、読まないといけない資料を読んだりするか、少し早い時間からの飲酒を楽しんでいたような気がします。

 他の同僚よりも仕事が遅かったので、20年以上前の外科医時代はほとんど休みの日も病院にいたように思います。以前にもコラムで書きましたが、パンツ30枚を病院に持ち込み、日の光を見ることのない“軟禁状態”は当たり前でしたから、休日にのんびりとした気分で朝から雑務をすることは、それほど苦に感じたことはありませんでした。誰もいない医局や病理の部屋で雑務をしていたような記憶があります。

 我々外科医は、あまり「休み」といった概念がなく、土日に病院に出て患者さんの顔を見るのは当たり前でした。“休み”になっている日でも午前中に必ず病院に行き、受け持ちの患者さんの状態を把握してから病棟回診していました。気になる患者さんがいたら、外出や外食をしても出先では、5分に1回ほどポケットベルを確認し、食事をしていても料理の味も分かりません。呼び出しのベルがなれば、すぐに戻らなければならないという気持ちがありますので、病院にいて患者さんの近くにいた方が精神的には楽でした。

 見えない鎖で繋がれた犬のように、感じたこともあります(笑)。ですから当時は、ほぼ毎日病院にいたような気がします。私がかなり小心者であったのも理由の一つです。特に真面目であったわけでも、正義感が強かったわけでもなく、お恥ずかしいですが、仕事が遅く、要領が悪かったというのが、病院に長くいた原因のように思われます。

 医者1年目は、仕事が忙しい上に、睡眠時間があまり取れないために精神状態はかなりきつかったです。私ではありませんが“幻覚”に襲われた先輩もいました。頭脳明晰で、人徳もあり、非常に優秀な先輩でしたが、土曜日の夕方に久しぶりに病院を出ると酒屋さんの店頭に並んでいる焼酎のビンが追いかけてきた、というのです。

 その先輩は、身寄りのない老婆が退院後に「銀座のお店であんみつを食べたい」と言うと、自らその人を背負って、銀座まで連れて行き、あんみつを食べさせてあげたという「伝説」を持つ大変、徳の高い人です。これほど素晴らしい先生だからこそ、人よりも強い責任感のもとに仕事をこなし、他人に重圧の愚痴をこぼすわけでもなく、黙々と仕事をこなし続けた結果、そういう極限状態に追い込まれたのだと思いました。

 当時は本当にそんな感じでした。私の友人が大阪から上京して、久しぶりに会えたのにもかかわらず、会った瞬間に病院からポケットベルで呼び出され、たった5分でお別れしたこともありました。他にも人を長時間待たせてしまったり…などのエピソードは多いです。当時は携帯電話もないですから連絡もままならないのです。今では、考えられないことですよね。

 昔を思い出しながら、コラムを書いているとあっという間に午前が過ぎてしまいました。これでは、明日も休みですが、病院にきて雑用ですね(苦笑)。

 ◆筆者プロフィール 谷光利昭(たにみつ・としあき)たにみつ内科院長。1969年、大阪府生まれ。93年大阪医科大卒、外科医として三井記念病院、栃木県立がんセンターなどで勤務。06年に兵庫県伊丹市で「たにみつ内科」を開院。地域のホームドクターとして奮闘中。

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