【野球】二岡のサヨナラ弾での劇的優勝、ONシリーズで初めて経験した日本一 「涙は出たけど、涙声にはなってなかった」追悼試合でプロの矜持 巨人の場内アナウンス担当・渡辺三保さんの回想
巨人の場内アナウンスを担当する渡辺三保さん(67)は、この道のスペシャリストだ。1979年に採用され多摩川グラウンドでデビュー。翌年には後楽園球場でアナウンスを開始し、88年の東京ドーム開場後は、同所を主戦場に現在に至るまで、バックネット裏の放送室から美声を響かせている。48年目のシーズンを迎えている渡辺さんに東京ドームでの思い出、心を揺さぶられた試合について聞いた。
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これまで2000試合以上の場内アナウンスを担当してきた渡辺さんは、数々の記録達成の瞬間や劇的な場面に立ち会ってきた。
2000年9月24日の中日戦。ミレニアムVとして球史に語り継がれる優勝試合を担当した。
「九回裏に江藤選手の満塁ホームランで同点に追いついて、直後に二岡選手がサヨナラホームランで優勝を決めて」。敗色濃厚な展開からめまぐるしく動き、熱狂に包まれた一戦は忘れがたい。
ON決戦となったその年の日本シリーズ、巨人-ダイエー(現ソフトバンク)では、日本一を決めた10月28日の第6戦を担当して初めて日本一を経験した。
「その時点で20年ぐらいやってたんですけど、一度も日本シリーズで勝てたことがなかったんです。第6戦の試合前に堀内(恒夫)さんにお会いして、その話をしたら、“おまえ、帰れ”って言われて(笑)。でも、勝てたからよかった。やっと勝てた!って」と当時の喜びをよみがえらせて声を弾ませた。
「いっぱいありすぎるほど、感激する試合が本当にたくさんありました」。そう記憶をたどった渡辺さんが「感動したのは、この2試合でした」と特別な思いを明かす試合がある。
東京ドーム開場から2年目の89年9月2日のヤクルト戦。七回2死三塁。「バッタ-、斎藤に代わりまして、吉村」。渡辺さんのアナウンスは5万6千人の観衆の拍手と大歓声にかき消されそうになった。
前年7月6日の中日戦(札幌円山球場)で守備中に飛球を追って中堅手と激しく交錯し、左膝外側靱帯(じんたい)を断裂した吉村禎章外野手。選手生命を脅かす重傷を乗り越えての423日ぶり復活の場面だった。
「壮絶なリハビリをされてましたから。代打で出場した時の歓声はものすごかったですね」
観客からの割れんばかりの拍手と歓声で迎えられた吉村選手の姿を思い起こした。
心を揺さぶられたもう一つの試合は、2010年4月2日の試合前にくも膜下出血で倒れ、同7日に37歳で急逝した木村拓也内野守備走塁コーチの追悼試合として開催された、同24日の巨人-広島戦だという。
1点を追う八回1死満塁の場面で、渡辺さんは代打の谷佳知選手をアナウンスした。木村さんと同じ移籍組であり同級生として親交が深かった谷選手は、自身初の満塁アーチを左中間席へとかけて逆転勝利を届けた。
「試合前の追悼セレモニーで、『セカンド・木村拓也』というアナウンスを入れるシーンがあって、泣いてしまったんです。でも、試合後に球団スタッフから“よく泣かずにしゃべれたね”と言われて。涙は出てたけど、涙声にはなってなかったんだ、と。自分でプロだなと思いましたね」
泣いていることを悟られることなく仕事を遂行できたことに胸を張った。
前年の09年9月4日のヤクルト戦。現役最終年の木村さんが急きょ捕手を務めた試合も放送室から固唾をのんで見守った。アクシデントでベンチ入りの捕手を使い果たし、二塁を守っていた木村さんは延長12回に10年ぶりにマスクをかぶり、3人の投手をリードして無失点で抑えた。
「すごい長い試合で、お客さまも結構帰られてたんですが『キャッチャー・木村拓也』って言った時の歓声がまたすごくて。(抑えた後)原監督が、木村さんをハグしに行きましたよね」
ユーティリティープレーヤーとしていぶし銀の活躍をみせた在りし日の木村さんの姿に思いを寄せた。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◆渡辺三保(わたなべ・みほ)1958年10月1日生まれ。東京都出身。79年に巨人に入社し庶務部(現総務人事部)などを経て2004年からはスカウト部に在籍。入社から04年までは1、2軍のアナウンスを務め、05年からは1軍専属となった。18年の定年退職後、19年からは契約で業務に従事し22年からは2軍、3軍戦も担当する。
