【野球】駐車場での素振り中に警察呼ばれたことも「バットを振ってる数が全然足りなかった」野手転向の宮出隆自さん プロ初本塁打は阪神・藤川投手から
ヤクルト、楽天で17年の現役生活を送った宮出隆自さん(48)は、プロ入り6年目に野球人生の転機を迎えた。将来のエース候補として期待されドラフト2位でヤクルトに入団したが、故障に悩まされ、かねて評価されていた打撃力を生かすべく野手に転向することを決意する。第二のプロ野球人生の始まりだった。
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右膝に水がたまる症状で投球練習もままならなくなっていた宮出さんにとって、球団からの野手転向の打診はありがたかった。
打撃には元々定評があった。宇和島東高3年から投手になって頭角を現し、ヤクルトには投手として入団したが、ドラフト段階では他球団からパワフルな打撃で野手としても高評価を受けていた。
「入団後にヤクルトも、投手と野手のどちらがやりたいのかと聞いてくれたんですけど、上甲(正典)監督から、ピッチャーをやり始めて1年でドラフトにかかったんだから、ピッチャーをやりなさいと言われて、やることにしました」と明かす。
入団当時の監督だった野村克也氏からも1年目のキャンプ中に野手転向を勧められている。
「2軍のキャンプを野村監督が視察に来た時、ちょうど投手のフリー打撃の時間で、僕はバンバン、スタンドに打ってたんです。そしたら監督に呼ばれて『おまえは野手をやれ』って言われたことがありました」
その時は松井優典ヘッドコーチが「入団したばかりですし、投手をやるという話になってるんで」と待ったをかけたという。
ちなみに宮出さんの投手時代の打撃成績は17打数7安打3打点、打率・412。いい数字を残している。
その6年後に転向は現実となったが、宮出さん自身、ここが勝負時だという思いがあった。
「プロに入って6年が終わった後で、年齢も24か25。2年ぐらいで結果を出さないと終わってしまうと思ってましたから。その時、自分に何が足りないかというと、バットを振ってる数が全然足りない。だから人が休んでる時は、差を縮められるチャンスだと思いましたね」
休みなく必死にバットを振る日々が始まった。チームの休日には埼玉・戸田の2軍施設に行ってマシンを相手に打ち込み。家ではマンションの駐車場で黙々とバットを振った。鬼気迫る雰囲気を醸し出していたのだろうか。マンションの住人からの通報で警察官がやってきたこともあった。
「警察の方に事情を聴かれて、“こういう仕事をしてまして練習量が足りないので隅でバットを振らしてもらってました”と説明したら、“職業柄仕方ないですね、安全に注意してお願いします”と言われました」と回想した。
チームも野手転向を全面的に後押ししてくれた。「小川(淳司)監督が2軍の監督で、荒井幸雄さんが打撃コーチでした。野手に転向して1年目から100試合以上2軍の試合に出してもらってた。全然打たないのにずっと使ってもらって。他の野手に申し訳なかったです」
ひたむきにバットを振り続けて1年。翌年の開幕前の教育リーグに出場中、ふいに感覚をつかんだ。
「打席で追い込まれた後に、こうやって打つんだって感覚がポンと舞い降りたんです。意識を変えた瞬間に今まで振っていたフォークにバットが止まって、ボール球を見逃せて、際どい球をファウルできるという感じになり、甘く入ってきた変化球をライト前に打ったんです。こういうマインドで打席に立てば打てるって感覚が1打席で出来上がったんです」。当時の興奮をよみがえらせて宮出さんは熱く語った。
開眼したその一戦以降、2軍で打ちまくった。2003年4月下旬に外野手として待望の1軍昇格を果たした。
地元である愛媛の坊ちゃんスタジアムで行われた5月25日の阪神戦。宮出さんは、先発の藤川球児投手から四回にプロ初ホームランを放ち故郷に錦を飾った。
「追い込まれてからスライダーに手を出したらバンってホームランになった。弾丸ライナーでしたね。野手に転向して初めて松山であった試合で、親や親戚もみんなが来てる中で打てたんですから、やっぱり野球の神様はいると思いましたね」
プロ初勝利のウイニングボールは乱調だった自分がふがいなく受け取りを拒否したが、ホームランボールはありがたく受け取った。今も愛媛・宇和島の実家に置いてあるという。
その年は60試合に出場して44安打、5本塁打、打率・277を記録した。
(デイリースポーツ・若林みどり)
宮出隆自(みやで・りゅうじ)1977年8月18日生まれ。愛媛県出身。宇和島東高から95年度のドラフト2位で投手としてヤクルトに入団。2002年から野手に転向。06年に規定打席に到達し、打率・275、9本塁打、59打点をマーク。09年から楽天で2年間プレーしてヤクルトに復帰。投手では49試合で6勝5敗、防御率4・73。通算701試合出場で458安打、216打点、39本塁打、打率・277。引退後はヤクルトの1、2軍の打撃コーチなどを務め、21年は1軍ヘッドコーチとしてリーグ優勝、日本一に貢献。身長192センチ、90キロ。
