【野球】「巨人はやっぱり王道だと痛感した」広島を離れ巨人で引退した西山秀二さん 20年の野球人生
広島の正捕手として長く活躍した西山秀二さん(58)は3球団目の所属球団となった巨人で20年の現役生活を終えた。巨人在籍はわずか1年だったが、球界の盟主である伝統球団に所属したことは、自身の野球人生において大きなプラスになったという。トレード移籍、戦力外通告、自由契約での移籍…。波乱の野球人生を語った。
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現在の西山さんは、野球評論家の枠を越えてテレビやYouTube出演、自らの生配信と幅広く活躍を続けている。
「今、こうやっていろいろしゃべったりできてるのは、広島を出て行って巨人に行ったり、その後、コーチとして中日に行ったり、いろんな経験をしたからだと思ってます。球団によって全然違いますからね」
長年、正捕手という重責を担ってきた鋭い観察眼に基づく評論のみならず、南海、広島、巨人の3球団で濃厚な現役生活を過ごしたことは西山さんの大きな武器だ。
20年の現役人生の最後の年を巨人で過ごしてユニホームを脱ぐことになったが、引退翌年の2006年からは巨人の2軍バッテリーコーチを2年間務めた。その後は原辰徳監督のもと08年から3年間、1軍バッテリーコーチを務め、2度のリーグ優勝と日本一も1度経験した。
現役時代、広島では泥にまみれて徹底的に鍛え上げられたが、巨人では違いを痛感したという。
「ジャイアンツはやっぱり王道なんだと実感しましたね。選手が一番なんです。コーチは選手にケガをさせないよう、すごく気を使う。練習させ過ぎてケガをしたではあかんのです。クタクタになるまで練習させて試合で結果が出ないより、万全の体調で目いっぱいゲームにいけという感じでしたね」
キャリアを積んでいる選手は“大人扱い”される文化があったという。だからこそ、自身がバッテリーコーチに就任した際にはそれを実践した。「阿部(慎之助現監督)にも、体調をとにかくベストに持っていくことだけを考えてましたね。それが本来のことじゃないですか。本人が一番最高のパフォーマンスをできるようにすることが」
球界の盟主らしく、充実した施設や恵まれた待遇というメリットも享受したが、それに伴う厳しさ、シビアな現実にも直面した。
「ジャイアンツは負けたら絶対、コーチはクビなんですよ。厳しいですよ。だからコーチも必死になって勉強してましたね」。西山さんが巨人を退団した2010年、チームは3位に甘んじている。
それにしても、その野球人生は起伏に富んでいる。上宮高からドラフト4位で南海に入団するも、チーム事情によって入団2年目の5月に広島にトレード移籍した。そこから18年の長きにわたり広島でプレーしたが戦力外を告げられると、敷かれたレールの上を進むことなく、巨人での現役続行を選んだ。
今でも広島への特別な感情は抱いている。
「広島はいいチームやったし、先代の松田耕平オーナー、今の松田元オーナーにもほんとにかわいがってもらいましたし、恩はすごいあります」
そして続けた。
「自分はあのまま広島しか知らずにいってたら、どのみち失敗していたと思うんです。狭い視野で物事を考えていた。移籍してなかったら、カープでコーチとして戻ってたかもしれないですけど、やっぱり失敗してたんじゃないかな。そう思ったら、これも人生かなと。だから後悔はしてないですね」
静かな口調で自身の決断を振り返った。
(デイリースポーツ・若林みどり)
西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。
