【野球】学歴ハードル、挫折乗り越え9年で超難関の公認会計士試験に合格 高校で学んだ簿記が「接点」に 元阪神の奥村武博さん

 プロ野球選手から公認会計士に転身を遂げるまでには、いばらの道があった。阪神の投手としてNPBに在籍した奥村武博さん(46)。4年間という短い現役生活を終え、一時は飲食業界に身を置いたが、自らのキャリアに向き合ったことで公認会計士という資格を知り、挑戦することを決意した。学歴ハードル、挫折を乗り越えて苦節9年での資格取得だった。

   ◇   ◇

 「資格ガイド」本を手に取るまで「公認会計士」という職業のことは知らなかった。

 プロ野球界を離れて安易に飛び込んだという飲食業界で壁にぶち当たり、自身の将来について思い悩んでいた時、後に妻となる女性から贈られたのが、分厚いガイド本だったという。

 「資格を取れというメッセージではなく、世の中にはこんな仕事や資格があると。狭い範囲でしか考えられてなかった人間の視野を広げるため、選択肢を示す上でいいアイテムだと思ったみたいですね」

 ページをめくると、なじみのある資格から未知のものまで多くの資格が記載されていた。稼げる資格には医師や弁護士が列挙されていたが「高校からプロに入っているので最終学歴は高卒。資格にチャレンジするハードルがすごく高くて、かつ時間もかかる。そういう学歴ハードルがあったんです」

 高卒からの挑戦では時間も労力もかかる資格を目の当たりにする中で、「公認会計士」の文字が目に留まった。

 「直感的にカッコよさそうだなと思って説明を読んだら、簿記の資格、知識を生かしてと書いてあった。そういえば、高校(岐阜・土岐商)で日商簿記検定の2級を取ってたなと。接点がかろうじてあったんです」

 しかも2年後には試験制度の改定によって受験資格が撤廃され、高卒でも受験ができることを知る。「縁とタイミングの良さを感じてこれはチャレンジしたいと思いましたね」

 運命的な出合いで目標は定まったものの、そこからが長い道のりだった。ドラフトで阪神から指名された当時、担当スカウトが寸評に「頭脳明晰」と記すほど高校時代の奥村さんは成績優秀だったが、アルバイトをしながら国家資格の受験勉強をするのは容易ではなかった。

 「短い時間で高い時給を得られることを考えるときつい仕事になるし、体力を使うと眠くなって勉強できないし、そもそも勉強することに慣れてなかった」

 発想を変えて会計事務所で働きながら勉強をしようと50~60社に履歴書を送ってみたが採用には至らず。そんな中、資格取得のために通っていた専門学校が、働きながら勉強する受験生のサポートを開始したと知り相談したところ、思いがけず入社が決まった。

 「自分の経歴とか境遇とかを話したら興味を持ってもらったんです」

 関西を離れて東京へ移り住み、正社員として働きながら受験と向き合う日々がスタートした。

 仕事がない日は1日15~16時間を勉強に費やした。勉強を開始して5年ほどでマークシート方式の1次の短答式試験に合格。だが、1次に一度合格すると3回受験チャンスを得られる2次の論文式試験を突破できず、再び1次試験が復活することに。

 「その時はさすがにキツいなと。やめようと思ったりしました。勉強を始めて7年目ぐらいでしたね」

 会計業界の制度そのものも過渡期を迎えていた。「去年勉強したことが、翌年は違う制度になったり覚え直さないといけないとかありましたね」

 挫折しそうになりながらも食らいつき、やっとの思いで資格を取得するまでに9年を要していた。

 「何回受けたか言えないぐらいですけど、回数的にはかなり受けてますね。長く試行錯誤したことが、結果、その後の自分のキャリアにとってすごい肥やしになっていると感じます」

 奥村さんは当時の苦労を思い起こした。

(デイリースポーツ・若林みどり)

◇奥村武博(おくむら・たけひろ)1979年7月17日生まれ。岐阜県出身。97年度のドラフト6位で阪神入り。同期は中谷仁、井川慶、坪井智哉ら。1軍登板なしで01年に現役を引退。02年は阪神の打撃投手を務めた。飲食業を経て、13年に元プロ野球選手として初めて公認会計士の資格を取得。株式会社メンバーズの社外取締役、関西大学客員教授、株式会社スポカチ代表取締役、一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構の代表理事、日本障がい者サッカー連盟、日本プロ野球OBクラブの監事などを務める。

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