【芸能】被爆から80年 広島出身シンガー・ソングライターHIPPYが「原爆の語り部~被爆体験者の証言~」に関わる理由 原爆の悲惨さと平和の尊さ伝え続ける

冨恵洋次郎さんの写真とHIPPY
6月6日に開催された「語り部の会」でのHIPPY(左)と語り部の塩冶節子さん
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 メジャーデビュー10周年を迎えたシンガー・ソングライターのHIPPYが、6日に原爆投下から80年を迎える広島市の広島国際会議場フェニックスホールで同市が主催する青少年平和文化イベント「ヒロシマの心を世界に2025」で、ライフワークとなっている「原爆の語り部~被爆体験者の証言~」と「平和を願うミニコンサート」を開催する。HIPPYはなぜ被爆伝承事業に積極的に取り組んでいるのか。

  ◇  ◇

 またあの日がやって来る。80年前の8月6日、午前8時15分。米軍によって広島市の中心地に原爆が投下された。HIPPYは、長い月日が流れても忘れることのできない日に平和を願い、今回のイベントに挑む。

 広島生まれの広島育ち。小さいころから平和学習にも触れてきた。被爆3世ながら「もともとこういうことに興味がなかった」と、被爆伝承事業への関心がなかったと正直に話した。

 それが今では被爆伝承事業の中心人物となり、被爆80年の節目の年に広島市から依頼を受けてイベントを開催するまでになった。

 崇徳野球部に籍を置いたこともあったHIPPYにとって「憧れの存在だった」という1学年上で広島商野球部の4番打者だった冨恵洋次郎さんとの出会いが今につながっている。

 冨恵さんが経営するバーで毎月6日に「語り部の会」が開催されていた。そのバーに音楽関係者と訪れ「語り部の会」の存在を知り、参加するようになった。

 会の中心人物だった冨恵さんが2017年、37歳の若さで病に伏し亡くなった。その4日前に「HIPPY、ちょっと体がしんどいから手伝って」と遺志を託され「語り部の会」を継承することになった。

 2017年といえばアルバム曲で今では代表曲になっている「君に捧げる応援歌」を作った年でもある。歌手活動とともに毎月6日の「語り部の会」を開催。「君に捧げる応援歌」のヒットで歌手活動が忙しくなった今でも「語り部の会」はライフワークとして続けている。

 「毎月のブッキングが大変で、被爆伝承事業に参加して、被爆者の方がブッキングできないときは僕が話せるようになろうと勉強しました。知らないことがいっぱいあったなと気付きをもらった」

 被爆伝承事業について勉強することは、歌手活動にも影響した。

 「この被爆伝承事業に参加して出会った岡田恵美子さんという被爆者の方がいるんですけど、『あんた歌手なんだから歌でやんなさいよ』と助言をいただきながら、こうやってみようかなと、被爆者の方からヒントだったり背中を押してもらったりして歌でやってみるようになった」

 被爆75年の2020年には被爆者から受け取った思いやメッセージをしたためた「日々のハーモニー」をリリースした。

 「知ることによって自分の町が好きになれるし、誇りに思えるし、先輩たちが頑張って作った町だと思えるようになった」

 そして今年、地元放送局の被爆80年のテーマソングにもなっている「ほしになった町」をリリースした。

 原爆によってなくなった中島本町のことを想像しながら曲にしたためたという。

 6月には地元広島で初めてのアリーナ公演を開催した。被爆体験者から「原爆で光ったオレンジ色が嫌い。だから夕焼けが嫌い」という切実なトラウマを聞き、「オレンジ色をすてきな色に変えたい」と公演のテーマをあえてオレンジを選んだ。平和を願い未来に向け新たなスタートをきるものだった。

 233回を数える今回の「原爆の語り部」では、原爆の像のモデルとなった佐々木禎子さんの兄・雅弘さんと対談する。

 そして「平和を願うミニコンサート」では、HIPPYの歌声で原爆の悲惨さと平和の尊さを訴える。

 若くして亡くなった冨恵さんの思いとともに。

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