【野球】長嶋さんから食らった、らしさ全開のお説教「なぜ、おまえは俺より先に走るんだ!」巨人V9戦士・吉田さんが明かした素顔
巨人のV9戦士の吉田孝司さん(79)が、6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏の現役時代の素顔を振り返った。順風満帆なプロ生活を送ったイメージのある長嶋さんだが、限界説がささやかれた時代があった。負けん気が強く、独特の感性を持った10歳年上のスーパースターは、吉田さんに呼びかけ、2人でのマンツーマン練習を始めた。そこから見えてきたのは長嶋さんの人間味あふれる姿だった。
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「長嶋さんには、すごくかわいがってもらって、いろんな思い出があるんです」
吉田さんは、そう切り出した。
長嶋さんの訃報が伝わってきたのは、吉田さんに巨人での20年間の捕手人生についてインタビューをしてから、しばらくたってのことだった。V9時代をともに過ごした仲間と葬儀に参列した吉田さんの脳裏には、数々の思い出がよみがえってきていた。
「V9時代に長嶋さんの限界説がマスコミに書かれたことがあって。甲子園での試合前練習中に、長嶋さんから『ヨシ、走ろう』と声をかけられてね。下半身を鍛えたかったんでしょう」
吉田さんが18歳で入団した65年から巨人のV9時代はスタート。10歳年上の長嶋さんはチームのスーパースターであり、恐れ多い存在だった。
だが1967年シーズン。長嶋さんは打率・283と低迷。プロ入り以来5度の首位打者に輝いていたが、この年は初めて打率ベストテンから外れて12位に甘んじるなど、限界説がささやかれていた。
大先輩から一緒に走るよう言われた吉田さんは言われるがままに従った。
「僕はぺーぺーだから、緊張しながら付き合った。長嶋さんは両親指を立てて『シュッシュッ、シュッシュッ』と言いながら走ってた」
レフトポールからライトポールに向かって外野フェンス沿いに走るミスターは目立つ。スタンドからは阪神ファンがどんどんフェンス際に降りてきてヤジを飛ばしてきた。
ライトからレフトへ向きを変えて、緊張が抜けないまま走っていると、吉田さんはミスターから後頭部をポンとたたかれた。
「『おまえは走るリズムがない。俺と声を出せ』って言われてね。そこから2人で『シュッシュッ、シュッシュッ』と言いながら走った。そしたら、どんどんスピードが速くなってね。僕の方が速くて、長嶋さんを抜いてしまった」
先を行かれた長嶋さんは、吉田さんを説教した。
「『なぜ、おまえは俺より先に走るんだ。ただでさえ引退間近と書かれてる。吉田ごときに負けて、遅いと思われる。これだけお客さんが見てるんだ。引退間近と思うじゃないか、おまえは必ず俺のあとを走れ』って」
常に見られること、ファンを魅了することを意識していた、ミスターらしい説教だった。
「僕が2、3歩後ろを走ると、『ヨシ、これでいいんだ』ってニヤッと笑ってね」
序列が守られたことでミスターは満足そうな笑みを浮かべたという。
フェンス沿いを走る長嶋さんの姿に観客の騒ぎはどんどん大きくなっていった。2人は騒然とするフェンス沿いを避けて、内野後方へとランニングコースを変えた。
ケージを2つ並べての打撃練習が行われており、打球を避けながらのランニングとなった。すると吉田さんは、また長嶋さんから叱られた。
「『おまえ、なんでこっち側を走るんだ。俺は試合に出なきゃならない。おまえはベンチにいるだけなんだから』って言われてね。それで僕が打球が来る方を走った」
そこからは吉田さんが内野側、ミスターが外野側に位置を入れ替えて、「シュッシュッ」とかけ声をかけながら走った。
ミスターと、伴奏者に指名された吉田さんのランニングは、甲子園にとどまらず、ナゴヤ球場、広島市民球場でも行われたという。
「リズムを長嶋さんは大事にしてましたね。野球はすべてリズムだって教えてくれた。守るのもリズム、バッティングもリズム。守るとき、鼻歌を歌って守った時もあったって話してくれたね」
歌と言えば、もうひとつ、長嶋さんからお叱りを受けた思い出がある。
「ナゴヤ球場で負けた試合があって。長嶋さんも打てなくて、僕も打てなかった」
試合後は、宿舎で荒川博打撃コーチに素振りを見てもらうのが常だった。若手は一番最後になる。終わってようやく風呂に向かった吉田さんは、つい寂しい歌を口ずさんでいた。
「お湯がヒザぐらいまでしかなくてね。♪俺は河原の枯れすすき~♪って湯船につかりながら歌ってたら、『誰だ、こんな歌を歌ってんのは!』って声がして」
突然風呂場に入ってきたのは長嶋さんだった。吉田さんの姿を確認した長嶋さんは「なんだ、ヨシか。そんな寂しい歌を歌うんじゃない、今日みたいな日は軍艦マーチでも歌っとけ」
そう言って扉をピシャリと締めて出ていったという。
現役を引退し、監督となった長嶋さんの心配りに感激したこともあった。監督2年目の76年、正捕手だった吉田さんは、試合前に田園調布の自宅に呼ばれた。
「高田(繁)さんと僕とでね。マッサージ師さんを呼んでくれていて、マッサージを受けさせてもらった。その後食事をごちそうになって、そこから試合に向かった。レギュラーで出ていたから気遣ってくれたんだと思う」
その年、長嶋巨人は初優勝を遂げた。
厳しくもユーモアに富み、愛情あふれる人柄。長嶋さんの話をすると自然と頰が緩む。希代のスーパースターは吉田さんにとって、そんな存在だった。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇吉田孝司(よしだ・たかし)1946年6月23日生まれ。兵庫県出身。市立神港(現神港橘)から1965年に巨人に入団。V9時代に2番手捕手として活躍し、入団10年目に正捕手に。84年に在籍20年で現役引退。通算954試合に出場、476安打、42本塁打、打率・235。76年の球宴で巨人の捕手史上初のMVP獲得。巨人でバッテリーコーチ、編成部長などを務め、2012年からDeNAのスカウト部長に就任、26年ぶり日本一の礎を作った。





