【野球】シーズン途中での監督からの引退勧告 1カ月後の復帰…監督交代につながったロッテの八木沢引退事件

 ロッテの監督を務めた八木沢荘六さん(80)は、1973年に史上13人目の完全試合を達成した。だが偉業から5年後のシーズン中、八木沢さんは突然、金田正一監督から引退を強制された。投手陣から慕われていたベテランに降りかかった衝撃的な“事件”にチームは瓦解。直後に15連敗が始まった。引退勧告、その後の復帰要請-。目まぐるしく変化した当時の状況を八木沢さんが振り返った。

  ◇  ◇

 完全試合達成の翌年、金田監督率いるロッテは4年ぶりにリーグ優勝を果たした。八木沢さんは先発、中継ぎに奮闘し、チームの勝利に貢献した。中日と対戦した日本シリーズでは、24年ぶり日本一のメンバーとなった。

 キャリアを重ねた八木沢さんは76年から投手コーチを兼任。多忙となったにもかかわらず、その年にプロ入り最多の15勝をマーク。完投は5を数えた。翌77年には11勝を挙げている。

 「完全試合があったから、その後は先発も増えて。あの年は15勝したんです。簡単にできるんだなあと思ったぐらい」と笑みを浮かべた。

 その後は投手コーチだけでなく、トレーニングコーチも兼任した。「ピーッって笛を吹いて、行けーとやったりね」

 主力投手が2つのコーチを兼任する理由を尋ねると「球団は、僕をもう落とそうと思ってたんでしょう。やめて、コーチをしてもらうと。だから兼任させてたんです」

 微妙な空気を感じ取っていたようだ。

 プロ入り10年目の78年前期に事件は起こった。

 5月26日に後楽園で行われた東映戦。4番手で八木沢さんは八回裏から登板。この回は抑えたが、九回に3安打され、逆転を許した。

 負け投手となった八木沢さんに、金田監督は唐突に引退を求めた。

 「僕も悪いんです。2点リードしていた試合だったんですよ。僕はリリーフで登板したんだけど二、三塁だったかな、そこで打たれて。その試合は負けたんです」

 翌日のデイリースポーツには、この日限りで八木沢投手兼任コーチを「現役引退させ、コーチ専任にする」「ロッテの将来を思えばコーチ専任になってくれた方がチームのためでもあり、うれしい」との金田監督の厳しいコメントとともに、「あまりにも突然なんでびっくりしている。現役に未練はあります」という八木沢さんの戸惑いの反応が掲載されている。

 「監督は『もう使い物にならない、八木沢は』と、先に新聞記者に言ったんです。そこから始まったんです」と騒動の端緒を明かした。

 納得はしていなかった。だが、引退は決定事項となり、八木沢さんは投手コーチ専任となった。

 投手のリーダー格に監督が突きつけた引退。困惑はチームに広がった。

 翌日の同カード。チームは覇気なく4安打完封され3連敗、首位・阪急に水をあけられ3位に転落した。「“八木沢引退劇”ショック」の文字が新聞には躍った。

 「(チームは)いい成績だったんですけどね、そこからガーンと落っこちたんです」

 6月1日から28日の前期終了まで、なすすべもなく15連敗(3引き分けを挟む)を喫した。

 金田監督にはついていけない-そうした雰囲気がチーム内には充満していった。

 前期終了の前日、14連敗中のロッテ選手会は行動を起こしていた。八木沢さん引退後、故障者が続出し、投手陣は崩壊。山崎裕之選手会長を中心に緊急ミーティングを実施し、八木沢さんの復帰を働きかけることを確認したのだ。

 選手会から要望を伝えられた金田監督、球団首脳はその日午後、ロッテ本社を訪ねた。八木沢さんの復帰が決まった。

 「(現役を)やめたのは1カ月。後期はもう投げたんです。1カ月休んで、また戻った。1カ月間は専任コーチをやってたんですよ」

 復帰を決意した経緯を聞くと「醍醐(猛夫氏)さんが僕に『ロクさんよ、監督がまた戻ってくれって言ってるんだけど、どうする』と。やらせてくれるんだったら、またやるよって。醍醐さんには面倒をかけました。本人(金田監督)の口からは一言も聞いてないですけどね」

 バッテリーを組んでいた先輩捕手への感謝を口にした。

 強制的に辞めさせられた末の復帰要請。わだかまりはなかったのだろうか。

 「ないですよ」。八木沢さんはあっさりと口にして、付け加えた。「まあまあ監督は、カネさんは、ちょっとハチャメチャだけどね」。型破りで豪快だった監督を懐かしんだ。

 「監督はチームの大責任者だけど、人事権は持ってない。人事は上がやる。監督は次の年から山内さんになりました」

 4位で終わったこの年限りで金田監督は退任。翌79年、ロッテは山内一弘氏を監督に迎えた。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇八木沢荘六(やぎさわ・そうろく)1944年12月1日生まれ。栃木県出身。作新学院、早大を経て、66年のドラフト1位で東京(現ロッテ)入団。73年にプロ野球史上13人目の完全試合を達成、最高勝率・875を記録した。在籍13年で394試合に登板。71勝66敗8セーブ。防御率3・32。92年から94年途中までロッテ監督。ロッテを含め、西武、横浜、巨人、阪神、オリックス、ヤクルトと7球団のコーチを歴任した。日本プロ野球OBクラブ理事長。

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