【野球】センバツVで涙に暮れた172センチのエース 延長18回引き分け再試合など5試合にフル回転した八木沢さん
ロッテの千葉移籍元年に監督を務めた八木沢荘六さん(80)は、作新学院高(栃木)時代の1962年にエースとしてセンバツを制覇した。同校はチーム力を結集し、夏も頂点を極め、史上初の春夏連覇を達成している。日本プロ野球OBクラブ理事長を務める八木沢さんが、延長18回引き分け再試合など過酷な戦いを勝ち抜いていったセンバツを回想した。
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2年連続出場となった62年のセンバツ大会で、八木沢さんは頂点を極めた。全5試合に登板、投球回数は52回1/3で、自責点はわずか3という圧巻の投球だった。
作新学院として初のセンバツ出場となった前年に、八木沢さんは2年生エースとして出場。1回戦で柏原高(兵庫)を2-0で完封、2番手で登板した2回戦ではこの大会で準優勝した高松商(香川)に敗れたが、翌年に見事、リベンジを果たしたことになる。
初戦の久賀高(山口)に5-2で勝利。完投し自責点は1だった。
続く準々決勝の八幡商(滋賀)戦は互いに譲らず0-0のまま延長18回引き分け再試合に持ち込まれた。
「終わらないんですから。でも、へこたれちゃったらね、もう負けですから」
身長172センチの小柄なエースは負けん気と驚異的なスタミナを発揮。前半はカーブでカウントを取り直球で勝負、後半はカーブを決め球に八幡商打線を封じた。
「野球をやってて18回を投げたのは初めて。14、5回ぐらいになったら、(マウンドに)行って帰って、行って帰ってと機械みたいな感覚になって疲れましたけどね。でも、どこも痛くもない。今までも痛めたことはないんです」
そう述懐しつつ「球数は180かな。1イニング10球ぐらいなんですよ。ストライクをどんどん投げ込んでいくから、バッターは打つわけですよ。球速は130キロから135キロぐらい。速くないけど、嫌なところに投げてればバンバン打たれるっていうのはないんですよ」
8安打16奪三振の無四死球投球を楽しげに振り返った。
翌日の再試合。「行くと思ってたんですよ。それぐらいのスタミナはあったんで」。本人の思惑とは別に疲労を考慮されて先発は回避となったが、二回途中から早々とマウンドに上がった。
直後の三回に、作新学院は前日の試合から21イニング目で待望の先取点を奪う。先制のホームを踏んだのは八木沢さんだった。後半には7連続三振を奪うなど計13奪三振の巧みな投球で八幡商を2-0で破った。
3連投となった準決勝の松山商戦ではさすがに疲労を隠せず。五回に初戦の久賀戦以来35イニング目にして失点を喫し、七回には死球を与え連続無四死球記録は40回で途絶えた。打線の援護がない中、八木沢さんは九回途中で、控えの加藤斌(たけし)投手(元中日)にマウンドを託した。
「松商は山下という投手が投げて。僕が投げたあと16回までいったんですね。決勝までほとんど全部投げましたけど、延長、延長ですごかったです」
加藤投手が好投し、作新学院は延長16回の末に3-2で勝利し、決勝へと駒を進めた。
そして迎えた最後の相手は日大三高(東京)だった。
「栃木のチームと東京のチームの対戦です。日大三高には倍賞明という左バッターがいたんです。女優の千恵子さんがお姉さんで、美津子さんが妹。ものすごい有名で、人気があってね。レフト前に一本打たれたんですが、あとは抑えまして」
八木沢さんは、のちに日産自動車の監督も務めた倍賞選手の名前を出した。やりにくさを感じていたというが、八回に味方が奪った1点を守り切った。準々決勝の八幡商戦から4連投。疲労はピークを越えていたが強靱な精神力でカバーして1-0の完封で栄冠をつかんだ。
「連投八木沢、日大三を完封」と大きく報じられたデイリースポーツの優勝紙面には、インタビュアーの前で顔を伏せて涙に暮れる八木沢さんの写真が掲載されている。記事には、タオルを顔にあて涙、涙で動けず、優勝投手インタビューに答えられなかったとある。
感極まったのですか?と聞くと、八木沢さんは打ち明けた。
「今の人みたいにインタビューもうまくできないし。あんなに投げられたらやっぱり、そういうのはね。やっと、やっとって言葉が出ちゃいますよね。やっと終わったって」
背負っていたものは大きかった。緊張から解き放たれ、うれし涙は止まらなかった。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇八木沢荘六(やぎさわ・そうろく)1944年12月1日生まれ。栃木県出身。作新学院、早大を経て、66年のドラフト1位で東京(現ロッテ)入団。73年にプロ野球史上13人目の完全試合を達成、最高勝率・875を記録した。在籍13年で394試合に登板。71勝66敗8セーブ。防御率3・32。92年から94年途中までロッテ監督。ロッテを含め、西武、横浜、巨人、阪神、オリックス、ヤクルトと7球団のコーチを歴任した。日本プロ野球OBクラブ理事長。




