【野球】26年ぶり日本一のDeNA 礎築いた高田繁元GMのこだわり「巨人やソフトバンクのGMだったら受けない」

DeNAのGMを務めた高田繁さん=都内
 DeNAのゼネラルマネジャーに就任し、記者会見する高田繁
DeNAのゼネラルマネジャーに就任し、池田純球団社長(左)、春田真オーナー(右)と握手する高田繁氏=2011年12月
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 巨人のV9メンバーで日本ハム、ヤクルト監督を歴任した高田繁さんは、DeNAが球界に参入した2011年12月に編成トップであるGMに就任し、7年間にわたってチームの土台作りに尽力してきた。「巨人やソフトバンクだったら、(GM職を)受けてない。自分はDeNAぐらいのチームがいい」。憚ることなく言い切る。万年最下位と揶揄されてきたチームが成し遂げた26年ぶり日本一。GMを退任して6年の高田さんが自身のGM哲学を語った。

  ◇   ◇

 苛烈な勝負の世界を離れた高田さんは穏やかな日々を過ごしている。

 「家庭菜園の話だったら、いくらでも話すよ。今は時間がいっぱいあるから、野菜を作ったり花を育てたりするのが主。花はビオラが咲き出してる。野菜だったら、ほうれん草と小松菜だな。霜が降りると甘みが増してくる」

 現役時代から土に親しみ、花や野菜を育ててきた。

 「普通はホームセンターで苗を買ってくるんだろうけど、種から育てるのが楽しい。花でも野菜でも、土を作って肥料をやって種をまいて水をやって。手をかけたら、必ず花は咲く、野菜もできる」

 店で買った苗を植えれば手間も省けて花も早く咲く。だが、自分が選んで植えた種が芽を出し、結実することに喜びを見いだす。草花に向けられた言葉は、高田さんが掲げる理想のチーム作りと重なる。

 「自分は、巨人やソフトバンクのGMだったら、たぶん受けてない。いくらでもお金を出すし、あとはFA選手を集めたらいいんだから。僕でなくて交渉上手な人でいい。もちろん、お金を全然かけられない球団は困るけれど、僕はDeNAみたいな球団が一番いいんだよ」

 強いこだわりがある。

 「FAについては完全否定してるわけじゃないが、本当に必要な選手を獲りたい。1番はドラフトでね。アマチュア選手を見るのが好きだから。この選手はよくなるぞって見るのが楽しいんだよ。いいと思った選手をみんな指名できるわけじゃない。いいなと思った選手がよその球団に行っても、成功したな、アイツって思う。そういうのが楽しいわけよ」

 好きが高じて学生野球の資格回復研修を受け、気の向くままに母校の明大グラウンドを訪れ、選手たちを見るのも家庭菜園と並ぶ楽しみだ。

 球界参入が決定したDeNAに請われて、日本ハム時代以来となる2度目のGM職に就いた。

 「GMとして編成の責任者の仕事をできるってことは、本当に限られた人しかできないこと。やりがいがある。ありがたいし、お受けした」

 誇りを持って仕事に向き合ってきた。

 ただ、4年連続最下位に沈んでいたチームの立て直しは容易ではなかった。

 「ほんとに勝てない、戦力がないチームだった。暗黒というか、機能していなかったね。先発投手も名前が出てくるのは、三浦(現監督)ともう1人ぐらい。そんな時代だったから、中畑からは『高田さん、左で投げるピッチャーをとにかく獲ってください』って言われてね」

 初代監督だった中畑清氏の懇願に応えるように、左腕不足の解消に動き、石田健大、今永昇太(現カブス)、濱口遥大(現ソフトバンク)、東克樹らを積極的に獲得。野手では独自のスカウティング戦略によりドラフト下位で宮崎敏郎、佐野恵太らを獲得。彼らは主力となってチームを支えている。

 「ラミちゃんが監督になった時(16~20年)にはね、戦力的にはもう勝てるチームになってきてるというぐらいまでできた」。そう自負できるまでにチームを整備し、18年シーズンをもってGMを辞した。

 ラミレス監督時代の17年に続く3位からの日本シリーズ出場。生え抜きの三浦大輔監督はチームを26年ぶりの日本一に導いた。「あの1、2戦の戦いを見てたらね。正直、横浜には帰って来られないと思っていた。ソフトバンクは戦力的に圧倒的だった。ただ、DeNAには勢いもあったし、流れもあった。短期の怖さ、恐ろしさだな」

 大方の予想を覆した勝負を振り返った。

 25年シーズンに向けての展望を尋ねると「野手は宮崎、佐野がいるし、梶原が出てきたり、度会がいたり。桑原はシーズン後半よかったし、ある程度何とかなりそうだ。ただ、どう考えても先発投手は必要。即戦力で評価した、竹田が期待通り働いてくれるか」と分析した。

 心配していた先発陣にはバウアーの復帰も発表された。願うのはもちろんチームの完全優勝だ。

 「本来のリーグ優勝、143試合を戦って勝って、日本一になる。これを目標にね。ただ、巨人は強い。いいチームになっている」

 戦力を拡大させた古巣を警戒し、悲願達成へハッパをかけた。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 高田 繁(たかだ・しげる)1945年7月24日生まれ、79歳。大阪府出身。右投げ右打ち。外野手、三塁手。浪商高から明大に進み、67年に巨人からドラフト1位で指名され入団。1年目からレギュラーとして活躍し、68年は新人王と日本シリーズMVPに選ばれた。堅守、巧打、俊足でV9に貢献、71年には盗塁王を獲得した。76年には三塁手にコンバートされた。80年に現役を引退し、85年から日本ハムの監督を務めた。退任後は巨人のヘッドコーチなどを歴任、05年に日本ハムのGMに就任。08年からヤクルト監督、11年からはDeNAの初代GMを務めた。

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