【野球】巨人の黄金新人・浅野翔吾は栄光の50番トリオ復活の礎となれるのか

 巨人のゴールデンルーキー・浅野翔吾(18)は、栄光の50番トリオ復活の礎となれるのか。

 ドラフト1位の浅野にスタメン浮上のチャンスがでてきたという。代打デビューした8日の中日戦(東京ドーム)から3打席連続三振中だが、フレッシュオールスター(18日・富山市民)では2安打1打点の活躍。存在感をアピールした。巨人は故障や不振の選手がおり、背番号「51」がスタメンとして躍動する日は近いかもしれない。

 この浅野に加え、背番号「55」を背負うプロ3年目の秋広優人(20)も今やチームの3番を任されるまでに成長。前半戦終了時点で65試合に出場し打率・299、8本塁打、25打点の成績を残し、セ・リーグの新人王レースにも名を連ねている。

 巨人にはかつて「50」、「54」、「55」番を背負った高卒選手で結成された50番トリオが存在していた。「50」は現在の巨人・駒田徳広3軍監督(60)、「54」はミスターパーフェクト・槙原寛己氏(59)、そして「55」は今年3月のWBCでコーチを務めた吉村禎章氏(60)である。

 当時、巨人ではV9という黄金時代が終わり、長嶋茂雄監督(現終身名誉監督・87)の第1次政権が終了。世界の本塁打王・王貞治ソフトバンク会長(83)も現役を引退した転換期だった。その時代の象徴が50番トリオである。結成されたのは82年。駒田3軍監督が1年だけ先輩で、ドラフト1位で82年に入団したのが槙原氏、吉村氏は同3位だった。

 一番早い1軍デビューは吉村氏だったが、1年目は4試合に出場しゼロ安打に終わっている。翌83年、駒田3軍監督が開幕2試合目でのプロ初打席で満塁弾を放つというプロ野球初の快挙を演じ、槙原氏がプロ初登板初完封で続く。この年、吉村氏は代打起用がメインだったがシーズン104打席で打率・326、3打席連続本塁打も記録。駒田3軍監督は199打席で12本塁打と長距離砲の片りんをみせつけた。槙原氏は31試合に登板。184回を投げて3完封を含む9完投、12勝、1セーブを挙げて、防御率3・67はリーグ9位で新人王に輝いている。巨人はこの50番トリオの活躍もあり、2位に6ゲーム差で2年ぶりリーグ優勝を勝ち取っている。

 86年に吉村氏は「7」に、翌87年には槙原氏が「17」に、その翌88年には駒田3軍監督は「10」に出世したため、実質的にトリオは3年で終了した。私は当時、巨人担当ではなく、他球団のチームの担当記者として彼らのプレーを眺めていた。その後、巨人担当となり、一流選手となった彼らを取材することになったが、50番トリオ時代の活躍は今も脳裏に焼きついている。

 巨人に新たな50番トリオが出現するにはまだ一人足りない。それが21年に育成から支配下へ復帰した背番号「54」の右腕・直江大輔(23)なのか、選抜高校野球の優勝投手で「56」を付ける石田隼都(20)なのか、分からない。ただ、復活すればオールドファンには懐かしいし、巨人にとっては大きな戦力となる。(デイリースポーツ・今野良彦)

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