【野球】高校野球の魔力に取り憑かれた男 京都共栄前監督・神前俊彦氏「老兵は戦い続けます」
京都共栄学園高校の野球部監督を8月31日付で退任した神前俊彦さん(66)が、独自の高校野球観を語った。任期を終えたことで、「ひと区切りつける」タイミングとなったが、生涯その野球愛が消えることはなさそうだ。
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「死ぬまで挑戦」が神前さんの座右の銘だという。
「この年になってもやる気を起こさせてくれるもの。それは何かに挑戦すること。私の場合は野球なんです」
8月27日。秋季京都大会初戦(2回戦)で立命館宇治に敗れ、退任のときを迎えた。2日後の夕方、部員全員を集めた最後のミーティングで事実を伝えた。
円陣の中で先の言葉を披露し、「俺はまだまだ挑戦し続ける。君たちも同じように挑戦し続けてください」と語りかけた。
時節柄、保護者には退任挨拶をメールで行ったが、「野球をやりたくて共栄に進学する生徒が昔より増えた」という労いの返信に救われた気がした。
神前さんは1982年夏、母校の大阪府立春日丘高校を創立以来初の甲子園出場に導いた。その実績を評価されて招かれた京都共栄では宿願こそ叶わなかったが、「自分にやれることはすべてやった」と思っている。
単身で京都の福知山へ赴任し、軽自動車を購入して自ら荷物の運搬係をやった。年の離れた選手との距離を縮めようと、野球ノートを毎日交換した。DIYでグラウンドに屋根付き屋外練習場をこしらえ、充実した日々を送ってきた。
2019年3月4日。大雨で小高い場所に位置するグラウンドの壁が崩れて長期間、まともな練習ができなかった。それでも夏の京都大会でベスト4。「逆境は人を作り、智恵を出すチャンス」になることを確信する印象深い年になった。
2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で、夏の大会は準々決勝を控えて打ち切られた。
「8チームがブロック優勝という扱いで、表彰状と盾をもらったが、皮肉にも勝って終わるということを初めて経験しましたよ」
密度の濃い在任期間を振り返り、「愛情込めて作ってきたチームだけに手放すのは惜しいし、心苦しい」と話す。しかし、「7年近くやって結果を出せなかったのだから仕方ない」とも言う。どちらも本音だろう。
思えば42年前の、あの夏の日が大きな岐路となった。
関学大硬式野球部で最終学年を迎えた年、監督のいない春日丘のグラウンドに立ち寄ると、当時の主将が「サインを出してもらえませんか」と言ってきた。それは練習試合を目前にしたチームの切実な思いだった。
2年後の夏、春日丘は奇跡を起こした。部員不足、道具不足に悩み、体育の授業を優先するためマウンドを削られたような学校が、まるでアリが巨象を倒すかのような進撃で、激戦区大阪を制した。
創意工夫は“神前野球”の真骨頂。アイデアと発想の豊かさは独特で、周囲の目を引いた。
「やればできるぞ、甲子園」
高校野球の“魔力”に取り憑かれた男の指導者人生はこうして始まった。
卒業後、航空会社に入社し、二足のわらじを履いた生活がスタートしたが、転勤を含めた長い“空白期間”が野球愛をさらに高めていった。野球とは無縁の自由な時間は虚無そのものだった。
腹を決めたあとは部長の肩書きを捨て、会社からも離れ、高校野球一筋に生きる道を選んだ。
なぜなのか。どうして高校野球にそこまで愛情を注ぐのか。どこにそれほどまでの魅力を感じるのか。この問いかけに神前さんは即答した。
「ほとんどの高校球児が最後に負けて終わるんです。その最後の1試合は一生忘れることはないでしょう。負けたら、そこでお別れが待っている。その緊張感の中でグラウンド、ベンチ、スタンドがひとつになって戦う。この経験は何ものにも代えがたいんです」
ほかのスポーツにも同様の魅力はあるが、「私には野球以上のものも、それ以下のものもない。野球しかないんです」という。
では甲子園にはどんな魅力があるのか。
「あの歓声とどよめきは、一度経験すると体から抜けない。何万人という観衆。負けたチームに拍手を贈る優しさ。そこなんです」
自らを「老兵」と呼ぶ神前さんは、残りの人生をかけて「死ぬまで挑戦」を実践していくという。
「先は短い。しかし“足や腰が痛いからやめる”のではなく“痛いけどやる”というのが私の考え。この精神で挑戦し続けます」
ひと区切りつけて、またすぐに走り出す覚悟なのか。
「これからまた、一生懸命に大好きな野球をやる子たちと、一緒になって苦労していきたい。全国どこでも。日本一の経験のない県など、ロマンがあっていいね」
次はどの高校で指揮を執っているのだろうか。(デイリースポーツ・宮田匡二)




