【野球】唯一8戦あった86年日本シリーズ 初戦引き分けは山本浩二の起死回生同点アーチ

 現役時代の山本浩二
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 ミスター赤ヘル・山本浩二が放った、あのシリーズ初戦の同点アーチをみなさんは覚えているだろうか。プロ野球の日本シリーズが20日から始まる。今年はセ・リーグがヤクルト、パ・リーグがオリックスという前年最下位チーム同士の激突となるが、両チームとも戦力が充実しており、好勝負は必至だろう。

 私にとって日本シリーズといえば、1986年の広島-西武の戦いを思い出す。その年、広島担当として取材したが、まさに前代未聞のシリーズだった。なぜならば、1950年に始まった日本シリーズ史上、第8戦まで行われたが唯一無二の年だからである。

 10月18日の第1戦から、まさに死闘だった。試合は4度目の日本シリーズ出場で、初めて先発のマウンドに立って東尾修が八回まで好投。広島市民球場の記者席で戦況を見守っていた私は、広島の敗戦を覚悟し「誰に話を聞いて、どんな原稿を書こうか」と構想を練り始めていた。

 九回1死から3番・小早川毅彦が右翼席へシリーズ第1号を放ち1点差。続いて打席に入った山本浩二も、東尾の投げたスライダーを右翼席へたたきこんだ。試合は振り出しに戻り、そのまま延長14回、4時間32分の引き分けに終わった。このときの山本浩二は39歳11カ月。それまで岩本義幸(松竹)が持っていた38歳8カ月のシリーズ最年長アーチ記録を更新した。

 シリーズを花道に現役を引退する山本浩二は試合後「別に右方向を狙ったわけじゃない。無理かなと思ったけど、よく入ってくれた」と話した。まさに、満身創痍(そうい)の状態で、ひと振りにかけた本塁打だったと思う。

 晩年は持病の腰痛で、東京や関西に移動するのもつらい時期も多くなっていた。そのため、試合道具を運搬する長距離トラックに便乗し、仮眠用に用意されていたベッドに横たわって移動したこともあった。当時、何度か裸の背中をみたが「吸い玉療法」の跡だらけだった。

 「吸い玉療法」とは、ガラス容器にアルコール類を入れて燃やし、それを皮膚に当てる。そうすると容器が吸い付き、吸い付いた部分がうっ血状態となり、治療に役立つというものである。

 そんな状態での本塁打だったが、試合前に訪れた当時野球評論家・古葉竹識さんの激励シーンが記憶にある。前年で広島の監督を勇退した古葉さんは試合前に球場を訪れ、ミスター赤ヘルに「最後のご奉公やな」といったと手を差し出した。このとき山本浩二は「調子がいいので、やっぱりもう1年やります」と切り返したと思う。この師弟の会話を傍らで聞き、私は「本当ですか?」と間抜けな質問をし、周囲に失笑されたものである。

 結局、このミスター赤ヘルの一発で、死闘がスタート。広島3連勝後、西武が4連勝するという球史に語り継がれる日本シリーズになった。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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