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【野球】8月23日が命日 ケンカ四郎こと武上四郎さんを偲ぶ

1981年12月 ヤクルト入団発表に臨んだ武上四郎監督(前列)を囲み気勢を上げる新入団の小川淳司(後列中央)ら
早実・荒木大輔(前列右から2人目)の歓迎会で、乾杯するヤクルト・武上四郎監督(左端)、若松勉(同2人目)、松岡弘(後ろ)、大矢明彦(右端)=1982年12月
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 「ケンカ四郎」と呼ばれた武上四郎さんが亡くなったのは、2002年8月23日のことだった。61歳だった。早いものでその日から19年がたつ。

 武上さんには公私ともにお世話になった思いが強い。といっても、武上さんがサンケイ、ヤクルトで活躍した現役時代やコーチ時代は、私はまだ学生だった。また、監督としてグラウンドに立っていた時期も担当記者として取材はしていない。だが、武上さんが1985年に他社とはいえ野球解説者となり、球場に取材に訪れるようになってから、いろいろ野球の話をしてもらえるようになった。

 特にMLB(メジャーリーグ)の話は興味深かった。武上さんは84年4月にヤクルトの監督を辞任し、5月からヤクルトの駐米スカウト兼任で、今、ダルビッシュ有(35)が活躍するサンディエゴ・パドレスの客員コーチに就任した。

 パドレスでは球団史上初のリーグ優勝を体験し、日本人として初めてワールドシリーズのベンチに入った人である。今でこそ、MLBの情報はテレビやネットを通じてリアルタイムで入ってくる。だが、その当時、リアルなMLBの情報を聞くチャンスはめったになかっただけに、貴重でありがたかった。

 武上さんが評論家時代、毎年のように2月の宮崎キャンプ期間中に「タケさん会」なる食事会が行われていた。当時、巨人、ヤクルト、広島などが宮崎でキャンプを張っていたため、各チームの担当記者が現地に集合していた。

 その中で、武上さんが懇意にしている記者連中を会費制で集め、宮崎市内で「アラ鍋」を囲むイベントを行っていたのだ。九州でいうアラはハタのことで、幻の超高級魚である。11月に福岡で行われる大相撲九州場所では、力士たちがこの幻の魚を食べるのを楽しみにしているほどである。

 宮崎出身の武上さんは毎年、地元のコネクションを活用し日向灘などで獲れたアラを確保。知り合いの料理屋で調理してもらっていた。私も何度か参加したが、キャンプ中の楽しみのひとつだった。

 だが、アラが不漁で、参加者が例年ほどの量を味わえない年があった。このとき、アラの代わりにふぐを食べることになったのだが、私を含めた参加者が「ふぐを食いにきたんじゃない」と冗談半分で毒づいたのだ。そのとき、武上さんが「ごめん。でも、ふぐだって高級だよ」と頭をかいていた姿が忘れられない。

 武上さんは95年に巨人の打撃コーチに就任した。このとき私はたまたま巨人担当キャップだったため、その後は取材でお世話になった。試合のない日などは、たびたび、千駄ヶ谷の武上さんの住むマンションを訪れ、取材に応じてもらった。武上さんが所用のためなかなか自宅に戻らず、やっとつかまったときには「まさかゴルフじゃないでしょうね」と皮肉を言ったことあった。それでも、怒らずに話をしてくれた武上さんは、私には、ガキ大将で「ケンカ四郎」と呼ばれた人とは思えなかった。

 私もその武上さんが亡くなった年齢を意識する年になった。8月23日に、さまざまな思いが脳裏を駆け巡っている。(デイリースポーツ・今野良彦)

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