【スポーツ】雅山“幻の大関昇進”の口上を聞きたかった…照ノ富士の快挙で馳せる思い

雅山の断髪式ではさみを入れる筆者(2014年2月)
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 幻となった、大関再昇進の際の口上を聞きたかった。大相撲の東関脇・照ノ富士(本名ガントルガ・ガンエルデネ)=(29)=が、春場所12日目に平幕・玉鷲を突き落としで下し、大関昇進の目安とされる、三役で直近3場所合計33勝に到達した。この相撲に私は、元大関・雅山哲士という力士を思い出していた。

 照ノ富士に関しては、今場所終了後に師匠でもある伊勢ヶ浜審判部長(元横綱旭富士)が、八角理事長(元横綱北勝海)に対し、大関昇進の可否を審議する臨時理事会の開催を要請。その臨時理事会での審議の結果、大関昇進が決定する。ひざの故障などで序二段まで陥落しながらの“奇跡のカムバック”に称賛の声を贈る人は多いだろう。

 「日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定番附編成要綱第9条」によると、1969年7月場所から、大関は「2場所連続負け越しで関脇に陥落、直後の場所で10勝以上を挙げた場合は特例で復帰できる」とある。この現行規定で復帰を果たしたのは、元横綱・三重ノ海、武双山(現藤島親方)、栃東(現玉ノ井親方)ら6人、7例があるが、一度平幕まで陥落しながら大関の再昇進したのは、放駒親方として元日本相撲協会第11代理事長を務めた元大関・魁傑の故西森輝門さん(享年66)しかいない。照ノ富士が再昇進すれば史上2人目の快挙となるが、実は3人目だったかもしれない。

 その人物こそが「平成の新怪物」と呼ばれた雅山の二子山親方である。二子山親方は期待されながら2001年9月場所で、左足首関節および左足根骨脱臼で途中休場し大関から陥落した。この当時、私は大相撲の担当記者で、共通の友人が何人もいたことから結構、付き合いがあった。クリスマスイブに横浜までJRに乗って女子プロレスの観戦に行き「男同士でなんていうクリスマスだ」と笑いあった記憶もある。担当を離れてからも、08年9月に東京・お台場で催された侑加さんとの結婚披露宴に招待してもらったし、14年2月の断髪式では国技館の土俵上で、はさみを入れさせてもらった。

 彼はおとこ気にあふれ、律義な性格で、好感の持てる若者だった。それだけに、私は担当を離れてからも、陥落後も注目していた。06年3月場所で4大関全員を倒し10勝、5月場所では決定戦で敗れ、初の幕内最高優勝こそ逃したが14勝。翌7月場所でも10勝を挙げ、直近3場所で34勝に到達したときは大関再昇進を期待していた。だが、当時すでに5大関だったことなどを理由に見送られた。今、大関として土俵に上がっている貴景勝が直近3場所34勝、朝乃山、正代が32勝で昇進を果たしたことを考えれば、不運としかいいようがない。

 00年3月場所後に大関に昇進した際、口上は「大関の名を汚さぬよう、初心を忘れず相撲道に精進、努力致します」だった。果たして幻の2度目の口上は、どんなものだったのだろうか。(デイリースポーツ・今野良彦)

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