【競馬】クロフネサプライズとの思い出 培った経験をタイサイへ

 昨年の12月13日。阪神10R堺Sをタイサイ(牡5歳、栗東・田所厩舎)が勝った瞬間、脳裏にある馬の姿がよぎった。その名はクロフネサプライズ。13年桜花賞で1番人気(4着)の支持を受けた芦毛馬。私の目には、3勝クラスで足踏みしていた後輩を、あの馬が“後押し”したように見えてならなかった。

 悲運の馬だった。あれは14年10月3日早朝の出来事。デビュー2年目の田所純(栗東・田所)は、2週間後に迫った福島民友Cの準備を進めていた。“サプ”と愛称をつけたパートナーを坂路へと導き、人馬一体となって駆け上がる。本当に、いつもと変わらぬ朝…のはずだった。

 坂の頂上に到達したその止め際。サプが急につまづき、バランスを崩して転倒した。事態を把握できぬまま、馬上から放り出された田所は、逃げ去る愛馬の後ろ姿を目で追うことしかできなかった。このままではマズい-。体には激痛が走ったが、無線を入れて声を振り絞った。「とにかく止めてくれ!」。

 そこからの記憶は定かではないという。時間も、感情も…全てが断片的だ。

 「無線から調教師の“大丈夫か!”という声が聞こえたので、即座に“俺は大丈夫。それよりも馬は!?”と返しました。するとひと言“馬はもうアカン”と…。その後、その場で泣き崩れたことまでは覚えています」

 錯乱状態に陥ったサプは、カーブを曲がり切れず、逍遙(しょうよう)馬道のラチに激突して左前脚を粉砕骨折。安楽死処分が取られた。

 「僕は救急車で運ばれたのですが、その途中で厩舎に車を止めてもらいました。今振り返れば、そこにいるわけがないんですけどね。テンパっていたので、サプが馬房に帰っていると思っていました。その後、治療場に行っても姿はなく、ある人から“まだ事故現場にいる”と聞いて。急いで駆けつけた時には、安楽死の処置をするため、診療所へ向かう馬運車に乗せるところでした。僕にとって初めての経験だったからでしょう。調教師からは“見るな!”と言われましたが…。いや、それは絶対に無理やな、と…」

 鮮血がはっきりと分かる芦毛の馬体。赤く染まった脚元は直視できなかったが、興奮状態で痛み苦しむサプの目を見つめながら、心の中でずっと謝り続けたという。

 当時のシーンがフラッシュバックしたのだろう。田所は椅子から立ち上がり、机の上に置いてあったティッシュを取り出して目頭を押さえた。「すいません。もう大丈夫だと思っていたんですけど…。やっぱ、まだ立ち直れていないのかな」。若き日に受けた、その衝撃と絶望感は察するに余りある。

 最期の姿を見届けた田所は、サプを馬運車に乗せると、周囲の制止を振り切り、無理やり車に乗り込んだ。「最期は僕の手で乗せたかった。絶対に僕が連れて行きたかった」。検疫所まで愛馬を送り届けたところが今生の別れに-。「ごめんな、申し訳なかった…」。気が張っていたのだろう。緊張の糸が切れると、再び体に激痛が走り、頭の中は混乱状態。その後、救急車で病院へ運ばれた。

 入院中はずっと天井の柄を眺める日々。サプを思い出しては自分を責めた。「あの時、坂路ではなく、他のコースで乗っていればこんなことには…」。後悔の毎日を送るなか、厩舎宛にファンから手紙やお花、キーホルダーが届いていると聞いた。「SNS等で応援してくれたファンの方々の温かいコメントを目にして。この世界に入った以上は、前を向いていかなければ」-。家族やファンの励ましを受けて、再び立ち上がった。

 思い出すのは、かわいらしく、それでいて勇ましい姿。「オンとオフの切り替えがものすごかった。本当によく寝る子で、その寝方もゴテンと手脚を伸ばして、いびきもかいて(笑)。ただでさえ芦毛でかわいいのに、オフの時間のかわいさはハンパなかったです。でも、競馬モードに入るとすごくキツいところがあって…。もうツンデレですよ」。

 ルーキーイヤーに担当した田所にとっては“教科書”と言える存在だった。「本当に、競馬の全てを教えてくれた馬でした。若馬が成長する過程や牝馬の気性の難しさなど、いろんなことを教えてくれました。重賞を勝った時の景色も見せてくれましたしね。チューリップ賞を勝った時は本当にうれしかったし、1番人気で迎える桜花賞も経験させてもらった。正直、僕の前から突然姿を消すことまでは教えてくれなくても良かったんですけど…。最後は、別れの悲しみや尊さまで教えてくれました」。

 悲しみから4年後。田所が担当することになったのがタイサイだった。阪神ダート1200メートルの新馬戦は、16頭立ての13番人気。結果も8着と注目される存在ではなかったが、4戦目の小倉で1700メートルに距離を延ばすと2着に好走。そのレースを境に、馬が変わった。

 田所が振り返る。「ちょうどサプを担当していた時に、隣の馬房にいたのがコスモアケルナルという馬でした。僕に初勝利をプレゼントしてくれた馬なんですが、タイサイの乗り味があの馬によく似ていたんです。ダート2000メートルを走っていた馬なので、調教師に“長いところを使ってみたい”と進言。すると、期待通りに走りだしてくれました」。

 3勝クラスの壁は厚かったが、力をつけたタイサイは前走の堺SをV。待望のオープン入りを果たした。「叩き良化型で使いつつ調子を上げていました。状態も良かったけど、ジョッキーがうまく乗ってくれました」。

 そして冒頭の場面を迎える。くしくもその日のメーンレースは、12年にクロフネサプライズが2着(15番人気)に激走し、ファンをアッと驚かせた阪神JFだった。不思議とそのシーンがシンクロした私の目には、天国からサプが田所とタイサイに何かメッセージを送っているように思えた。「全く気づきませんでしたが、言われてみたらそうですね。確かに、堺Sは抽選が厳しかったし、出走できたこと自体が幸運でした。しかも、阪神JFの日に勝つことができたなんて…。これは考え方ですが、僕は(神懸かり的な)そういうのはあると思っています」。

 “私を忘れないで”と言っていたのか、もしくは“タイサイ、頑張れ”とエールを送っていたのか。それは想像の域を超えないが、いずれにしても、あの勝利が田所を勇気づけたことは間違いない。

 「実はあの日以来、サプの過去のレースを見たことがないんです。見たら寂しくなりそうで…。この気持ちは、実際に経験した人にしか分からないでしょうね。僕は今年の4月でちょうど勤続10年目に入ります。田所厩舎も2月いっぱいで解散になりますし、人生の節目を迎えました。それでもこの先、サプのことは一生忘れないし、命日には毎年ツイッターで彼女への思いをつぶやいています。もしも天国で見守ってくれているのなら“俺は頑張ってるぞ!”って伝えたいですね」

 辛く、悲しい思いをした分、人は強くなれる。タイサイの次走はアルデバランS(2月6日・中京)が有力だ。厩舎解散までにもうひと花を-。感謝の思いを胸に、田所は走り続ける。※敬称略(デイリースポーツ・松浦孝司)

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