【野球】99年甲子園V腕・正田樹の球児へのエール 先々に生きる“2年4カ月の絆”

全国制覇を果たし喜ぶ桐生一・正田樹(左)=99年8月21日、甲子園
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 松坂大輔(西武)を擁した横浜高校が、甲子園で春夏連覇を達成した翌年。1999年夏、深紅の優勝旗を手にしたのは桐生一高だ。

 群馬県勢では初の栄冠。最後までマウンドを守り抜いたのはエース・正田樹だった。決勝まで6試合で3完封。全54イニングのうち、53イニングを一人で投げ抜いた。しかも村西哲幸(比叡山)、真山龍(仙台育英)高木康成(静岡)、上野弘文(樟南)と、後にプロに進む好投手に、ことごとく投げ勝っての優勝だった。

 「甲子園はやっぱり、野球をやる高校生が目指す場所。僕にはプロ野球選手になる夢があって、大きく人生が変わった場所ですよね。やっぱり、その存在は大きかったですね」

 21年前の夏を振り返る正田は、今年の11月で39歳になる。エースの小林正人(元中日)を擁し、2年生の夏にも甲子園に出場。開会式直後となった1回戦・明徳義塾戦は、ブルペンで延長サヨナラ負けを見届けた。翌夏も1回戦は開幕日。この時はまだ「また初日では帰りたくない」という思いだけだった。

 それでも、比叡山を2-0の完封勝利で下すと、続く仙台育英には11-2で大勝。「一番しんどかった」という3回戦は、静岡高に初めて先制を許した。なんとか4-3の逆転勝利を収めると、桐蔭学園戦、樟南戦は連続完封。決勝の岡山理大付戦は、14-1の大勝で深紅の優勝旗を手にした。色あせぬ激闘の記憶と栄光の記録。「でも…」と正田は言う。

 「いま振り返ってみると、勝ったことや優勝したことより、思い出すのは苦しかったことなんですよね」

 野球部員は体育コースに所属し5、6時間目は部活動。真夏でも午後2時から白球を追った。いまも参加する年に一度のOB会。仲間との思い出話は、そんな2年4カ月の記憶だ。「甲子園に行くためにしたキツい練習や、監督に怒られたこと。みんなで笑えるのって、しんどかったことなんですよね」。ただ1つ、同じ目標に向かって過ごした仲間との絆が全てだという。

 「勝ったことなんかより、2年4カ月、あの時間を一緒に過ごした方が、その後につながっていますよね。野球は社会人でも大学でも、いろんなところでできる。けど、高校野球の3年間って、もう一回がないですから。チームメートと1つの目標…それが甲子園だったと思うけど、そこに向かう日々が大事なんだと思う。それが必ず先に生きてくる」

 新型コロナウイルスの影響から、センバツに続き、夏の甲子園大会も中止が決まった。「僕らは甲子園ができたからよかった。でも、いまの問題って、当事者にしか分からないでしょう」。勝って喜ぶことも、負けて涙することもできない。そんな球児を前に、慎重に言葉を選びながらエールを送る。

 「当然、目指していた甲子園がなくなってしまったことは残念。でも、いま自粛しながらやっている日々が後々、必ず生きてくると思います。あの3年間に比べたら、しんどい思いに比べたらって、後々の人生で思えると思うんですよね」

 正田自身、ドラフト1位で日本ハムに入団後、2007年にトレードで阪神に移籍。その後は台湾の興農ブルズ、独立リーグ・新潟アルビレックスBC、ヤクルト、Lamigoモンキーズと渡り歩き、2014年に愛媛マンダリンパイレーツに入団。今年で7年目のシーズンを迎えようとしている。

 「どこでも野球に変わりはなくて、好きな野球ができていますからね」と笑う姿に、まだまだ野球人生のゴールは見えない。「先のことなんて、誰も分からない。だから、いま頑張る。いまの積み重ねが先になる。まだまだ野球がやりたいから頑張っていますよ」。野球で勝つ喜びを知り、負けた悔しさを知った。何より野球の楽しさを知り、全身で体現してきた左腕。いま、球児に願いを込める。

 「なんとか最後に3年生をいい形で送り出してほしい。甲子園がなくなっちゃったのは残念ですけど、頑張ってくれた人がいる。支えてくれた人がいる。最後までやり切ってほしい。いい形で高校生活を終えられるようにしてほしいですね」

 数年後、数十年後、仲間と笑顔で振り返る日々を、信じて大切に生きてほしい。そんなエールを届けながら、正田もまた続く戦いに向かう。毎日を大切に、懸命に。(デイリースポーツ・田中政行)

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